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城郭探訪15 土佐国 高知城 '05 4/03
![]() 普通に生活していたら、屋根瓦なんて目線より高いところにあるわけだし、都会の高層ビルから街並みを見下ろしても、オフィスビルだらけで、そう目に入るものではない。ややスリムな佇まいの高知城天守閣の窓からは、天守閣下層階や懐徳館(本丸御殿)の渋い銀色の甍が波打つように連なって見え、その存在感を際立たせていた。 天守閣前の広場に、06年のNHK大河ドラマ『巧名が辻』の主人公、山内一豊の妻千代の像がある。主演の仲間由紀江とは似ても似つかないことは全くどうでもいいだが、こういう歴史上の人物を扱った小説をたまには読んでみたいぜよ、思いつつも、まだ手をつけたことがない(たいがいとても長いので、それだけで億劫になる)。 *:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・ ![]() 歴史上の人物で高知といえば圧倒的に知られ、圧倒的に人気がある坂本龍馬の生家は、城の南西歩いて10分ちょいにあり、龍馬は高知城を仰ぎ見ながら育ったんだろう。私も幼い頃は四国・某市の城を見て育ったが、全然違う人間に仕上がってしまった。 |









歴史上の人物で高知といえば圧倒的に知られ、圧倒的に人気がある坂本龍馬の生家は、城の南西歩いて10分ちょいにあり、龍馬は高知城を仰ぎ見ながら育ったんだろう。私も幼い頃は四国・某市の城を見て育ったが、全然違う人間に仕上がってしまった。
大坂城ができる以前、この場所にあって大きな勢力を誇った石山本願寺は織田信長との抗争に敗れ、秀吉、徳川それぞれの大坂城築城でその痕跡は完全に埋立てられてしまい、定かでない。修道館横にある控え目で、ひっそりとたたずむ「石山本願寺推定地」標柱は、まるで「兵どもが夢のあと」。歴史の栄枯盛衰を見た気がした。

ほとんどのこの手の見学時間は17時まで、夏場18時までなのに(通年16時までというのも珍しくない)、ここは4月〜9月8時30分〜18時30分まで(10月〜3月17時まで)。これは見学の自由度が高まってありがたい。訪れたのはお昼過ぎだったので関係ないけど。w(>o<)w




)、他の城にも見られるという。



1582年、歴史教科書で有名な、秀吉の備中高松城の水攻め。周囲は低湿地帯、人馬とも脚をとられ攻めあぐねていた。秀吉は近くを流れる足守川が城よりも高い位置にあることに着目、下流域に堤防を12日間で造り、川の土手を崩して足守川の水を流し、城を孤立させる作戦をとった。水に守られていた城は、逆に水によって攻められる。
この辺りは桃太郎伝説の地でもある。桃太郎が放った弓が鬼の目に刺さり、流した血が血吸川と呼ばれるようになったという。が、かつて砂鉄が採れ、製鉄も行われていたため、流れ出る錆びた鉄が、血のように見えたことが本当で、その流れ着いた先が、今でも赤浜という地名で残っている、と地元のおっちゃんが語ってくれた。
静岡市内や駿府城内の観光解説版に、「大御所」という文字がいくつか見られた。「その道の第一人者として影響力のある人」と解釈していたが、それだとどうも解説の内容が理解できなかった。しばらくして気が付いた。
五層七階の壮大な天守閣は1635(寛永12)年に焼失後、再建されることはなく、明治以降は旧陸軍第34連隊が駐屯し、内堀は埋められ、徳川の威光むなしく残された遺構も取り壊されるも、外堀はなお往時を偲ばせている。戦後は市民公園として開放され、櫓や御門が復元、現在発掘調査もされている。最後の花見の週末として多くの市民で賑わっていた。
お城の天守閣はじめとする建築物は増改築したり、焼失後の再建などで姿を変えることもあるが、もうひとつのお城を特徴づける石垣は、造成された当時の姿をほぼ変えずにとどめている。つまり時代によっての造りの違いが、そのまま残されているわけだ。
家康が浜松城の居城していたのは17年。それから静岡・駿府城に移り、やがて江戸開闢へと続く。その後水野忠邦(老中。天保の改革)をはじめ、ここの歴代城主は江戸幕府の要職に就いた者が多く、「出世城」の異名があるが、17年なんて待てない。すぐにでも駿府城へ行こう。



