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城郭探訪 陸奥国 仙台城(青葉城) '07 8/28
![]() 30年ほど前のヒット曲、仙台出身の歌手、さとう宗之の『青葉城恋唄』で、大阪の人間でもその存在を知られる仙台城は、独眼流政宗の築いた城である。 したがって仙台市は東北有数の城下町、城跡は市の中心部にあるものだと思って、地図を見るが、おやおや、見当たらない。青葉区があって、青葉通という名称の大通もあるので、その近辺かと思ったが、そうでもない。 いや、少なくとも内堀くらいは埋立てられず残っているものなので、いかにも人為的な鍵型や“ロ”の字型の水面なんて一目瞭然、すぐに見つかりそうなものだが、やはり見つからない。唄に謳われながら、実は現存するほどの大きな城でなく、再開発等で影も形もなくなってしまった幻の城なのか、と妙なことを思いながら、視線をやや郊外に移してようやく見つけた。 近世城郭のあった街は多少の差はあっても、明治以降は県庁や市役所といった行政機関等が周辺に置かれるなど、そのまま今の市街地形成の中核となっているが、仙台は少し違うようだ。城の西側が広瀬川、背後の東側が青葉山と地形が自然自体が要害となっており、旧城郭区域がどこまでなのか定かじゃないが、二の丸跡にはかつて旧陸軍第二師団、戦後は東北大学川内キャンパスが入り、三の丸跡に仙台市博物館があるので、市街地の外れとまでは言わないが、中心地とも言えない。 *:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・゜゚・*:.。..。.:*・ ![]() 天守閣は造られず、そのほかの建物も取り壊されたり戦災で焼失したので、緩やかな傾斜を登りながら見える石垣にわずかな面影を残すのみで、城としての華やかさはもう見られないが、本丸跡の築城主・伊達政宗騎馬像前では、記念写真を撮ろうと観光客が連なっていた。さすが伊達者である。 |












歴史上の人物で高知といえば圧倒的に知られ、圧倒的に人気がある坂本龍馬の生家は、城の南西歩いて10分ちょいにあり、龍馬は高知城を仰ぎ見ながら育ったんだろう。私も幼い頃は四国・某市の城を見て育ったが、全然違う人間に仕上がってしまった。
大坂城ができる以前、この場所にあって大きな勢力を誇った石山本願寺は織田信長との抗争に敗れ、秀吉、徳川それぞれの大坂城築城でその痕跡は完全に埋立てられてしまい、定かでない。修道館横にある控え目で、ひっそりとたたずむ「石山本願寺推定地」標柱は、まるで「兵どもが夢のあと」。歴史の栄枯盛衰を見た気がした。

ほとんどのこの手の見学時間は17時まで、夏場18時までなのに(通年16時までというのも珍しくない)、ここは4月〜9月8時30分〜18時30分まで(10月〜3月17時まで)。これは見学の自由度が高まってありがたい。訪れたのはお昼過ぎだったので関係ないけど。w(>o<)w




)、他の城にも見られるという。



1582年、歴史教科書で有名な、秀吉の備中高松城の水攻め。周囲は低湿地帯、人馬とも脚をとられ攻めあぐねていた。秀吉は近くを流れる足守川が城よりも高い位置にあることに着目、下流域に堤防を12日間で造り、川の土手を崩して足守川の水を流し、城を孤立させる作戦をとった。水に守られていた城は、逆に水によって攻められる。
この辺りは桃太郎伝説の地でもある。桃太郎が放った弓が鬼の目に刺さり、流した血が血吸川と呼ばれるようになったという。が、かつて砂鉄が採れ、製鉄も行われていたため、流れ出る錆びた鉄が、血のように見えたことが本当で、その流れ着いた先が、今でも赤浜という地名で残っている、と地元のおっちゃんが語ってくれた。
静岡市内や駿府城内の観光解説版に、「大御所」という文字がいくつか見られた。「その道の第一人者として影響力のある人」と解釈していたが、それだとどうも解説の内容が理解できなかった。しばらくして気が付いた。
五層七階の壮大な天守閣は1635(寛永12)年に焼失後、再建されることはなく、明治以降は旧陸軍第34連隊が駐屯し、内堀は埋められ、徳川の威光むなしく残された遺構も取り壊されるも、外堀はなお往時を偲ばせている。戦後は市民公園として開放され、櫓や御門が復元、現在発掘調査もされている。最後の花見の週末として多くの市民で賑わっていた。
