たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

(C)awaya  このサイト内の写真、文章の著作権はawayaに帰属し、無断転用、無断使用はお断りします。

Latest Articles
Categorie Archives
Latest Comments
うぃぃ
メリクリ (12/30)
hana
虎と牛 (10/23)
スイスの旅人
桜 開花 (03/29)
awaya
SDカードならば (12/22)
みなみかぜ
中秋の名月 (09/30)
fukfuk
○年の呪縛 (05/25)
最新トラックバック

http://www.cafeblo.com/cafedeblog_binbo/index1_0.rdf
奥の細道2007 三沢市 [2007年09月02日(日)]
『日本国内の米軍基地 これってどうよ?!』

   クリックすれば360度パノラマ写真にジャンプ


2日前盛岡市内で見かけたポスターで、この日の三沢基地航空祭のことを知り、急きょ行くことにした。三沢基地とは米空軍と航空自衛隊との共同使用。偶然にも年1回の基地解放日開放日にあたったわけだ。ついでながらここは民間空港も併設され、航空祭での両者のデモンストレーション飛行の合間にJAL機が発着する光景も見られた。航空機マニアにはたまらんだろうな。

にしても軍の基地というものは、とんでもなく広いもんだ。
案内図を見ると基地に入るには、JR三沢駅からはノースゲートまで市内を大きく迂回せねばならない。もうひとつのアクセス箇所、ウエストゲートには隣の小川原(こがわら)駅からがずっと近かった。迷うことはない、航空祭に向かう人たちはみな三沢駅で降りる中、ひとり列車に残った。下車した人の数の多さからも混雑ぶりが予想され、「次の駅のほうが近いし、人も少ないから便利なのに」と内心思ったが、どっこいそうはいかなかった。列車はだだっ広い田んぼや林野の広がるなかを8分、小川原駅までひたすら走る。その間、基地らしいものさえ見えない。少し不安を覚えた。「なぬ、こんなに遠いのか…」

    上) 田んぼの向こうに見える林は、基地隠しにもなっている
    中) 巨大通信設備、通称「像の檻」
    下) 三沢基地の前進、旧日本海軍航空隊基地時代に
      建てられたと思われる大格納庫

続きを読む...
奥の細道2007 八戸市 [2007年09月01日(土)]
『TBR(東北ボッタクリ鉄道) これってどうよ?!』

青森県三沢市に行くことにした。が、さてはて困ったもんだ。盛岡からは東北新幹線で八戸経由在来線の東北本線で行くか、第三セクターのいわて銀河鉄道(通称IGR)と青い森鉄道を乗り継いで、八戸経由で行くかしかないが、どちらも18切符は使えない(他の路線を廻ることもできるが現実的でない)。

新幹線の場合、30〜40分ほど、乗車券1620円と特急券1790円だが、これは自由席の料金で、よく調べてみると盛岡-八戸間はほとんどが全車指定席となっており、これだと特急券2300円、計3920円となる。しかし指定席がか自由席かはこちらが選ぶもの。30分ほどの乗車なら自由席で十分。また自由席と同額の立席特急券というのもあるが、満席で座れないのと、空席があっても座ることができないとでは大違い。運賃を超える特急代は見合わない。

第三セクターは、新幹線開業に伴い旧東北本線をそのまま受け継いでいながら、岩手県側と青森県側で二つの鉄道会社に分けられ、合計で2990円。JR同区間の倍近い値段、これではまるで料金の二重取りだが、別会社なのでその差に文句も言えない。

つまり、この区間を鉄道で移動するには、指定席しかない新幹線で4000円近く払うか、本数も少なく2時間近くかかる第三セクター線で3000円近く払うかしかない、ボッタクリ区間に思える。


夜の八戸駅。撮影した翌2日、夜9時頃でも人の姿はちらほら

新幹線の高速大量輸送の利便性と、莫大な建設費とシステム維持費による採算性は必ずしも一致しない。それにもともと採算性の低い在来線を抱えていては、運営は厳しい。ゆえに在来線を切り捨て、観光客やビジネス客を新幹線に囲い込み、地元住民には大幅に値上げした第三セクター線を押し付ける。このあたりを地盤とする国会議員先生が税金を使って新幹線を造らせ、いかにも自分の業績のように吹聴する一方、自らはタダで新幹線に乗りたいがための方便なのでは、と勘ぐってしまう。

結局、第三セクター線で八戸まで行った直後、遅れていた最終の新幹線が八戸に到着、改札から出てきた乗客はまばらだった。迎えに来ていた家族とともに立ち去った後、たちまち無人とり、まだ新しく豪奢な駅舎は虚しいまでの大きな空間となった。
奥の細道2007 仙台編 [2007年08月28日(火)]
仙台にてプロ野球、楽天イーグルス対日本ハムファイターズの試合を見る。
6月に見た広島市民球場よりもは設備は劣るようだが、見た目はきれいに改修され、雰囲気も心地よかった。

首位日ハムに3−1で快勝。これで今月の月間勝ち越し(今シーズン2度目)が決まったという。2年前のチーム発足時はシーズン100敗するか、なんてことが話題になっていたのに…。
明日の先発投手は楽天・岩隈VS日ハム・ダルビッシュ。うーん見ものやな。明日も来る?

今日は天気が悪かったせいか、半袖だとナイトゲームではちと肌寒い。
あれ? 写真データがどっかにいっちゃった。フルキャストのバカ兄弟しばし待たれい。
奥の細道2007 福島県原町 [2007年08月27日(月)]
『日本一うまい駅そば』

お昼過ぎ、まだたいして腹は減っていなかったが、降りた駅にいかにもという感じの駅そば屋があった。撮影に夢中になるとよく食いそびれるし、関西の蕎麦のつゆとは違い辛いとよく言われるが、いったいどんなものか。そこには「日本一うまい駅そば」と貼り紙がしてあった。ネットの投稿をそのまま打ち出した控えめなものだったが、“駅そば”と限定しているのが、可笑しい。いっちょ試してみるか。

天ぷらそばを注文する。出された蕎麦は確かにつゆの色が関西のものより濃い。まずはすすってみる。風味が違う。深みというか、コクが足りないように思う。昆布のうまみをベースに、さっぱりめの関西のつゆはしょうゆとみりんの絶妙な配合で、それぞれの味が前面に出てこない。しかし今食しているのはダシが効いていなく、その分しょうゆ(だと思う)の味が勝ってしまっている。「辛い」というよりかは「何かが足りない」というのが率直な感想だ。

蕎麦は、というと生麺らしいがもさっとした感じで、食感がなく、湯がきが足りなかったのか、麺がもつれてつゆがあまりからまないまま、ひと塊で口に入ってしまった。
蕎麦はそば粉の質で味や香りが違ってくる。当然値段にも差が出てくるので、本当においしいものを食べようと思うなら、駅そばでは期待できないが、それさえ下まわっている。

てんぷら(野菜の掻揚げ)も、衣が厚く、これまたもさっとした感じで、プリプリ、サクサクした食感を楽しめなかった。そこまではまだいいが、油たっぷりの衣の塊が、食欲を減退させてしまった。

このことがどうも引っ掛かった。おいしいとは言えない蕎麦に、「東北の蕎麦はこんなもん」とレッテルを貼るのは早合点だ。食通ではないが、どうせならうまい蕎麦を食いたい。

仙台に移動した夜、駅内にあった蕎麦屋に入った。「駅そば」ではなくちゃんとした店構えのところだ。
やはり違った。蕎麦は昼のに比べれば、細身でコシがあり、クセがなかった。つゆはやはり濃い目だが、昼に比べれば、もちろん関西風とは違うが風味があり、辛さも少なく、最後まで飲み干せた。

食文化の違いに過ぎないし、「日本一うまい駅そば」に過大な期待をしたわけでもないが、長年親しんでいる味と、こうも違うものとは、いやはやおもしろいもんだ。
奥の細道2007 いわき市 [2007年08月27日(月)]
斜陽する一方の炭鉱街の奇想天外、起死回生策として、フラダンスを目玉とした温泉リゾートにしてしまおうという実話をもとにした映画『フラガール』。はじめはタイトルからして「何だかなあ」と思ったが、わが街をよみがえらせたいひたむきな人々の感動的ストーリーに日本アカデミー賞最優秀作品賞、最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀脚本賞はじめキネ旬第1位など各映画賞で話題を集め、高く評価された。

その舞台となった街が福島県いわき市湯本だという。なんだ、今日降りた駅のひとつ隣やないか。「フラで町おこしとは、いったいどんなんやねん?!」。それを知ったのは直前のこと、旅程に組み入れるには間に合わなかった…。て、映画まだ観てないんだっけ。

小名浜港は同いわき市JR常磐線泉駅からバスで10数分、そこには旧海軍駆逐艦「澤風」と「汐風」が防波堤の基礎として1948年沖合いに沈められた。もちろん船体そのものは見ることはできない。
澤風のエンジンの一部が、近くの三崎公園に記念として置かれていることと(時々海軍帽を被った御老年の男性が連れだってやってくるという)、汐風が埋められた1号埠頭にある観光物産センター駐車場横広場のすみに、辛うじてその船体の一部を示すタイルの配色がなされ、説明パネルがある程度で、これも注意しないと気付かれないだろう。


タイルの配色違いで示される汐風の船尾部分


汐風側面図。説明パネル「沈船防波堤の歴史」より


濱風の推進機関の一部。真っ赤な錆が、時の隔たりを感じさせる

現物が見られるならまだしも、海に沈められおまけに埋め立てられたとあれば「何だかなあ…」と苦笑してしまう。しかしそういう文字通り「埋もれた」歴史の出来事でもなければ、地元の人ばかりのこの港町に来ることはない。

その1号埠頭は上述の常盤炭鉱からの石炭積出しのため港湾拡張され、その当時は賑わったという。とすれば時代の変化とともにひょっとすると、この街からも「フラガール」が誕生したのかもしれない。意外と歴史はつながっている。
奥の細道2007 その壱 [2007年08月26日(日)]
夏の撮影行脚に出た。
今度はタイトルにあるように「奥の細道」、つまり東北地域を廻る。大阪からはやはり遠いので、ほとんどなじみないところばかり。3年前の夏、駆け足で廻ったが、今度は少し時間をかけてみるつもり。

第1日目は湘南海岸の江ノ島。って東北じゃないじゃん。
いっきに東北まで行く交通費が痛かったので、18切符で途中下車で寄ってみた。
夏休み最後の日曜日のせいか、すごい数の人だった。といっても初めてなので、比較できないが。
思ったほど、どーってところじゃなかった。ちょっとがっかり。

悠遊国記 ここまできて..番外編 [2007年04月17日(火)]
この撮影行脚中、身分証代わりにパスポートを持っていった。身分証なんてこれまでの旅行で、ほとんど必要なかったので、何をどう使うつもりではなかったが、世知辛い世の中、まあ何かに役立つだろうと思ってのことだった。

小倉にいた時である。旅行会社の前を通ると、プサンだのソウルへのツアーのパンフが目に入った
それ自体は別にどうということはない。が、その内容が、他とは違っていたのだ。


博多からプサンまでの高速船で約80km/h、3時間弱で着く


そう、狭い海峡を挟んでお向かいの下関からや、あるいはJRで1時間半ほどの博多からは船で韓国へ行ける。99年には下関、昨年夏は博多からそれぞれ船で韓国に渡ったので、どちらも馴染みがある。そうだ、韓国はノービザだし、しかも旅路の途中なんだから、そのままの旅装で行ける。その気になれば一両日後には韓国の地にいられるかも。

それも悪くないな。一瞬、そう思った。
悠遊国記 再び日本海へ [2007年04月09日(月)]
撮影行脚8日目。さすが1週間を過ぎると、ちょっと疲れ気味。
1週間前、お天気が悪く素っ飛ばした山陰地方は、これまでほとんど来たことがなかった。

左) 米子にある援体壕。雑草に阻まれ、これ以上近づけなかった
右) 米子空港は航空自衛隊美保基地との共用。C-1型輸送機が上空を何度も旋廻飛行していた

昨日、夕刻広島を出発、倉敷19時51分乗換え、伯備線経由で米子まで乗換えなしの23時14分着。そこから松江か出雲まで行きたかったけど、もう列車がなかった。

18切符での効率よく廻るコツのひとつが、こういう夜の列車だ。地方でも起点となるような都市までの列車なら、18切符の有効な深夜0時近くまで動いている。つまり夕方から、最終列車あたりで次の目的地に着くように、5〜6時間かけて乗り継いでいく。着くのが深夜なのが少しつらいが、赤貧写真家は抑えられる出費は、可能な限り抑えたいのだ。

午前中は米子空港近辺の旧海軍の掩体壕(飛行機用退避壕)など軍事遺構を撮影。その一部は農機具などの物置として使われており、一部は完全な不法投棄品の山となって、見るも無残な状態だった。地権者も、何の役にも立たない掩体壕に手間もお金も掛けられないし、行政も私有地ゆえにあまり口出さない、そういう構図なんだろうか。

昼から米子の北隣、境港をちょっと散策して、夕方再び米子に戻るつもりだったが、昼食に美味しい海鮮丼を食べたのがいけなかったのかもしれない。日本有数の漁獲量を誇る境港なんだから、やはり海の幸を食べたくなるっていうもの。食事をすればパワー回復するはずなのに、その満腹感と満足感から、それ以降の撮影意欲がしだいに萎えてしまい、結局、境港で半日のんびりと過ごした。

 左) JR境港線も鬼太郎ずくし。これは猫娘列車                右) 日本海の風物、イカ釣り漁船

境港は漫画家水木しげるの出身地で、その代表作『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎はじめ、いろんな妖怪の彫像や関連商品、便乗商売(?)で町興しをしている。数年前、友人がこの街を訪れたときは、日本で唯一、国交のない北朝鮮の元山(ウォンサン)市と結んだ、友好姉妹都市提携に関する資料室が駅前にあったと聞かされたが、どうやらその妖気に触れて、鬼太郎の下駄に蹴飛ばされたのかもしれない。

地方都市にとって特化された観光資源は、死活問題なんだろう。観光のメインストリート、水木しげるロードには、妖怪たちのブロンズ像が数メートルごとに置かれていた。いまや鬼太郎一色である。その数120体! さすがにこれらを写真に撮る気には、なれなかった。
悠遊国記 亀山八幡宮にて [2007年04月06日(金)]
下関市唐戸にある亀山八幡宮は、かつては島であり、カメのように見えたことから、まんま亀山と呼ばれるようになった。

江戸時代になって付近を埋め立てる工事が行われたが、早鞆の瀬戸と呼ばれる潮流の速い関門海峡での工事は難攻した。そこで「お亀」さんという遊女が人柱となり、これを切り抜けたという。そこから境内にはお亀明神が建てられ、カメがうようよいる小さな池があるという、カメづくし。それは成人後仙崎から下関に移り住んだ童謡詩人金子みすゞの詩にも出てくるから、とってつけたような語呂合わせでもなく、昔から人々に親しまれてきたんだろう。

左) おかめ明神                               右) ひたすら甲羅干しする池のカメたち 

同神社手前の駐車場は、その金子みすゞが生前最後の写真を撮った三好写真館の跡地なわけだが、そこに奇妙な石みたいなものがあった。近づいてみると、それはカメだった。まったく動いてなかったので、死んでいるのか、それとも置き物なのか。そこでつついてみると、頭も足も引っ込めたので生きている。

そいつがお亀明神の池から這い出してきたことは、容易に想像がつく。が、イッタイゼンタイこいつは何のため、どうやってここに来たのか。

お亀明神は島だった頃の名残で、駐車場よりも数メートルも高いところにあり、当然柵もある。わざわざ柵を乗り越えてまで、ここに来る目的はあるのか。それ以前に物理的に柵を乗り越えられないだろうし、乗り越えたとして、そこからは駐車場へまっさかさま、落っこちるしかない。

いくら硬い甲羅に覆われているとはいえ、あの高さから落ちれば、無事ですむとは思えない。それとも長い階段をのそのそと降りてきたのか。よく見ると前足を怪我していたが、“落っこちた”ときに、怪我したのかどうかも、判りようがない。

私は、まったくそこから動く気配のないそいつをむんずと掴んで、今降りてきたばかりの階段を登って、池に放してやった。それからも、そいつはまったく動こうとしなかった。

亀山八幡宮から東へ500メートルほどにある赤間神宮は、壇ノ浦の合戦で入水死した安徳天皇を祀ってあるところなので、大して興味はなかったが、夜7時頃、列車の時間までまだ少しあったので、寄ってみた。赤間というくらいだから、見事なまでの朱塗りの建物(水天門)は、安徳天皇が海の底で暮す龍宮城をイメージしているという。

そこでのんきに写真を撮っているうちに、時間が迫ってきた。下関駅行きのバスを待つのももどかしく、全力疾走で駅まで走った、走った。よく、走りきったもんだ。

これって玉手箱なんだろうか。
悠遊国記 ここまで来て…3 [2007年04月06日(金)]
下関火の山公園のふもとに着いたとき、あ然、愕然、呆然としてしまった。「ええーっ、山頂に行けない?!」

火の山公園とは関門海峡の最も狭いところ、関門大橋のすぐ東にある標高268mの山にあり、眼前の海峡はもちろんのこと左手に瀬戸内海、対岸の北九州門司、小倉、右手にやや霞んだ玄界灘までが見渡せる展望のいいところ。
それゆえ、かつては軍事要所として要塞化され、民間人立入禁止区域だった。要塞のあった山頂一帯は戦後、公園として整備されたが、そこへのアクセスがよくわからなかったので、直前にネットで調べたところ、麓−山頂間の市営ロープウェイが4/1から季節営業開始、それにともない、代替交通手段だった山頂までのバス路線が3/31廃止、と観光ガイド公式HPに出ていた。

ふむ、ロープウェイ大人片道200円。こりゃまた安いな! 乗る気まんまんで乗場まで来たのに、チケット売場にはシャッターが降ろされ、「ロープウェイ営業期間 7/1〜9/30」と貼り紙がしてあった。「どういうことや!」


関門海峡。この狭い水道を一日何百隻もの船が通過する
クリックすればパノラマ写真が見られます

そういえば、朝、下関駅にある観光案内所に立ち寄ったとき、職員がこんな会話をしていた。
「火の山公園のロープウェイは、動かないんだってね」
「そうなんですよ、云々」
確かにそう聞こえた。が、HPの情報を鵜呑みにし、その会話を完全に無視した私は、大バカものでしかないが、しかしイッタイゼンタイなんでこんなチグハグはことになったんだろう。

ロープウェイが夏季営業なら、バス運行が3月末までなのはおかしい。ロープウェイ乗り場手前で降ろされて、あとは自力で登ってね、では観光客はたまったものではない。バス会社とロープウェイを運営する下関市はどんな取り決めをしているんだろうか。まさか、観光振興うっちゃらかして、赤字路線(なんだろうなあ)の押し付け合い? おそらくは多くが自家用車やレンタカーで登っていくので、これらの利用者が少ないんだろう。自動車社会の弊害なのかなあ、とぼそっと思った。


数十年の歳月を経て、少しずつ自然に回帰していく
 

砲台跡。海峡を通過する敵艦を標的にした大砲は、
一度も使用されなかった。
関門海峡両岸には多くの要塞が築かれた


ここまで来て、ロープウェイだのバスがないから、山頂には行けません、ではあまりにもバカげたこと。そこから山頂までは徒歩30分ほど。そんな事態もなきにしもあらず。まだ時間は早い、明るいうちに充分往復できる。そう覚悟して、歩き始めた。

山頂までは、少々汗をかきつつも思ったほどきつい行程じゃなかった。そして山頂の展望台から目の前に広がって見える海峡の光景は、そんな徒労感を完全に吹き飛ばすだけの値打ちのあるものだった。
2007年09月
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30
Monthly Archives
Links
ネットワーク







(c) 1999-2009 Cafeglobe.com All rights reserved