たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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春雨 桜 広島 [2008年04月09日(水)]

年数回訪れる広島。気が付けば今春も04年以来、5年続けて桜の時期となった。
「気が付けば」というのもおかしいが、3月はまだちょっと寒いし、仕事等の都合で4月始めになってしまった。

昨日の岡山は好天、今日は一転して曇天、夕方前から雨が降り出してきた。
朝からほとんど歩きづくめ。さすが脚が痛い。
週末好天花見日和 [2008年04月06日(日)]
4/5静岡市にて

3月中に満開を迎えたという静岡地方だが、月末に花冷えの日が続いたせいか、散り始めや葉桜となりつつある木も見られたものの、まだまだ充分に絢爛に咲き誇っていた。

ここ駿府城址公園では、静岡まつりと花見客で人々がわんさかと繰り出していた。

桜の花とは春の陽気と、心の陽気(妖気?)をもたらせてくれるものだと感じた。

断ち切られた鉄路 [2007年10月15日(月)]
『奥の細道2007 青森・風間浦 9/6』


下風呂という地名は温泉地だらかというわけではないと思うが、下北からのバスを降りたとたん、温泉特有の硫黄の臭いが鼻を突いた。

昨晩、蟹田にて青函トンネルをくぐる特急に乗れず、函館に行きそびれた。仕方がない。すぐに切り替えたもうひとつの目的地、陸奥湾をぐるっと廻った先、竜飛崎に負けず劣らず「北のはずれ」感がたっぷり漂う下北半島の温泉と漁港の小さな町は、朝からの雨にけぶり、静寂に沈んでいた。

海岸線にそって走る国道を見下ろすようにならぶ温泉街の一角に、アーチ状の橋脚がやや不釣合いな感じで佇んでいる。付近には、その橋脚をくぐる地下道や、コンクリートで塞がれたトンネル跡がある。これらはかつて本州最北端大間崎を目指した旧国鉄大間線の遺構。津軽要塞のひとつ、大間崎要塞増強への建築および軍用物資運搬を主な目的とし建設されていたが、1939年開通した下北〜大畑(85年下北交通に譲渡、2001年廃線)を除き、大戦さなか建設資材不足により中断されたまま、その後も再開されることなく、取り残されたものだ。地元民以外には忘れ去られている。


整備された遊歩道の、敷かれたであろう鉄路のモニュメント


うっそうとした草木と激しい雨によって近づくことを阻まれた遺構


青函トンネルは当初、距離も短く水深も浅い大間-函館間が最有力視されていた。そうなれば工事は再開され、ここを頻繁に列車が通り、賑わいをみせたことだろうが、地質調査の結果、トンネル建設は困難とされ、遠回りの竜飛・福島ルートになった。レールは繋がらなかったが、散らばった歴史の破片は繋がっていた。

アーチ橋はその後生活道路として使われ、近年遊歩道として整備された。温泉街だけに駅ホームを模した休憩所にある足湯が親しまれている一方、うっそうとした草木と激しい雨が冷たい表情をして、一部の遺構に近づくことを阻んでいた。
海鮮五目ラーメン840円 [2007年10月08日(月)]
『奥の細道2007 青森・竜飛崎 9/5』


対岸の北海道が見える津軽海峡

竜飛崎にて遅めの昼食をとろうと、あるレストランに入った。時刻は4時少し前とはいえ、誰もいなかった。ここは本州北端、交通も不便なところ。とはいえ観光地でもある。こうも少ないものかな。いや、どうも誰も留まらないようである。

「海鮮五目ラーメンをひとつ」。海の幸に恵まれた食材は、青森の特産らしい。
一人しかいないなか、注文するのは少し不安だった。美味しくないから客が入らないのか、客が入らないから美味しいものを作れないのか。二人いた店員の人件費にすらならないラーメン一杯の客のわたしに、心配される筋合いもないだろうが、注文した料理が美味いかどうかは、気になるところだ。

が、これは杞憂だった。
さっぱり目の塩味スープは、各具材の美味しさを引き立たせ、細めの麺にマッチしている。

おやおや、具がなかなか減らないな。色とりどりの具は見た目も楽しく、ちょっとずつ違う食感を楽しませてくれる。タケノコ、きくらげ、イカ、キャベツ、白菜、メンマ、ワカメ、小エビ、にんじん、ねぎ、ニラ、そしてホタテ。五目どころか12品目もある。
ちょっとお得で、贅沢な気分に浸れた。
北海道は何処にある? [2007年10月03日(水)]
『奥の細道2007 青森蟹田 9/5』


18切符だけで青森から函館までの移動は不便だ。数年前まであった直通の快速が廃止され、今は鈍行列車と青森・蟹田〜北海道・木古内間の特急(特例で18切符でも乗車可)を乗り継ぐしかないが、接続の悪さから特急に乗れるメリットも相殺されてしまう(ようにダイヤを組んでいるのかな)。竜飛崎へ行ったのは、函館行きの途中下車(少し戻ってくるが)であり、移動のロス時間を少しでも減らすための工夫でもあった。


 「何をしているんだ、コイツ」と思えばマネキンだった


 トンネル内にでる湧水を地上に送る送水管。お土産屋では
これを使った水出しコーヒーが売られていた(買わなかったけど)

青函トンネル内のレールはすべて溶接され一本になっているという。ははん、そうか。トンネル内は温度湿度が一定しているので、真夏に見られるようなぐにゃりと曲がったりしないんだ。走行中のカタンカタンという列車特有の振動がしないのは、どんな感じなのか。これは乗ってみないと分からない。

今は緊急事態用の退避路と役割を代えた、かつての作業抗の一部を見学する。実際使用された工事器具やその様子をパネル展示しているが、万が一のとき、ここは修羅場と化す。よく考えてみれば絶対必要なこういう設備も、現地に来なければ知る由もない。

海面下140mのひんやりとした空気のなか、そんなことを知るにつれ、海峡をくぐって北海道へ渡る気持ちが少しずつ高まっていった。

同じ行程で北海道へ渡る機会はまずないし、あらためて作るほどでもない。これが唯一の機会、散々迷ったが、ようやく北海道に行く決断をした。

蟹田駅からの列車発車時刻が近づいたのでホームに移動、気持ちは初めての北海道上陸に少し昂ぶっていた。が、が、が…列車が来ない。おかしいな。遅れているのかな。でもそんなアナウンスはなかった。
改札に戻って駅員に聞いてみて唖然、愕然、呆然。列車はとっくに出たという。乗換え時間はほんの数分だったが、一時間弱の特急乗車時間の前に少し体をほぐそうと、また気分転換もかねて改札を出た間に行ってしまったのだ。といっても目と鼻の先を歩いた程度。発車案内のアナウンスは十分に聞こえるはずなのにまったく気がつかなかった。あまりの自分の迂闊な行動に唖然、愕然、呆然とした。


蟹田駅。停まっているのは三厩から乗ってきた列車

奥の細道2007 青森竜飛崎 [2007年10月02日(火)]
9月5日 『津軽海峡夏景色』

「ごらんあれが竜飛岬、北のはずれと
海峡を臨む駐車場脇にある石川さゆりの大ヒット曲『津軽海峡冬景色』歌謡碑から、時おり大音量で聞こえてくる (作詞は先日亡くなった阿久悠。JASRACは大丈夫か?) 。ボタンを押すと曲が聴ける仕組みだ。なんかおかしいな? と思ったら1番はすっ飛ばし2番だけ。何人かの観光客が面白がってボタンを押し、繰り返し聴かされると、うんざりしてくる。だから、自分からは押したくない。これではかえって情緒ぶち壊し…のはずなのに、「パブロフの犬」ごとく歌詞が頭をよぎり、それを頭の中で掻き消そうとしている。うーむ、これはしてやられたな。

曇りだか雨だか晴れだかよくわかんない予報は、確かにあたった。青森駅を出るとき降っていた雨は、津軽半島を北上するとともに止み、竜飛崎につく頃は雲が薄れ、晴れ間も覗いてきた。季節外れのややしおれたアジサイや、淡い青紫のチッコリーの花に彩られた竜飛崎すぐ沖合いでは、潮流の関係で渦ができ、眼前いっぱいに拡がる津軽海峡を経て、対岸の北海道松前半島が雲に重なりながらもくっきりと見える。


    竜飛崎ほぼ北端。断崖の岩場に、夏場といえど人を
               寄せ付けない自然の荘厳さを見た

そんな竜飛崎の一角に、草花に覆われたわずかなコンクリート片が見える。かつて戦争中、津軽要塞竜飛崎砲台として数基の砲台があった跡だ。

戦争末期、米軍による都市空襲の矛先はしだいに地方の中小都市や距離が遠くこれまで攻撃圏外だった東北北海道方面にも向けられはじめた。
1945年7月14日と15日、本州と北海道をむすぶ物流の大動脈、青函連絡船を分断するため、米海軍機が襲撃した。わずかな対空砲火を備えていたとはいえ民間輸送船にすぎない青函連絡船は、容赦なく次々と攻撃され、当時就航していた12隻が沈没、座礁などで全滅した。そこで急きょ代替船として稚泊航路(北海道稚内と樺太大泊を結ぶ連絡線)の「亜庭丸」を投入するも、8月10日、再び空襲に遭い沈没。もともと津軽海峡に迫る対敵艦船用15cm砲は、ほとんど役に立たなかった。
今ののどかな光景に、それらの惨状は結びつかない。


左上) 今は砲台に代わって自衛隊のレーダーが海峡を睨む
左下) 砲台跡と竜飛崎
右) 旧津軽要塞監視所が海峡全体を見渡せる崖の中腹にあった


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台風のち鉄ちゃん [2007年09月07日(金)]
『奥の細道2007 秋田・山形 9/7』


発車間際の新庄20:16発、酒田行快速最上川(左)は、同方面の最終列車

とうとう来きやがったか。夜中、台風の影響で強い風に見舞われた青森市内は明け方に雨が降り出すと、たちまち本格的になった。NHKTVでは東京近辺のJRが停まったというのを始め、各所での被害のニュースを繰り返し伝えている。
そこで少しでも台風の影響を避けようと、日本海に沿って南下することに。雨脚はところどころ強く、ダイヤも多少遅れていたが、運行そのものは大きな影響はなかった。奥羽山脈を横断して東北本線に繋がる、花輪線や北上線といったローカル線が終日あるいは夕刻まで運休したことを思えば、これしかなかったわけだが。

この日は乗継での小1時間程度の途中下車以外、何もすることもなくひたすら列車に揺られるばかり。車内では流れる景色をぼんやりと眺めたり、本を読んだり、ウトウトしたりだが、しだいに退屈してくる。「どうせ乗ってるだけ、その退屈ついでに乗り潰しをやろう」。

乗り潰しとは、ある交通機関の営業路線のすべてを乗車することで、目的地に行くための手段としてではなく、乗ること自体を目的とする特殊な旅。この場合はもちろんJRを指す。いわゆる「鉄ちゃん」にとっての最高目標であるらしい。私はそういったスタイルの旅はしないが、時間やその後の行程に大きな狂いが生じない範囲ならば、試みることはある。もっとも乗り潰しなんて、まともに正規料金払ってできるものじゃなく、最高の自由度と最低価格の18切符シーズンにしかできないものだが。


改札を出ると寿連獅子の山車が一際目に付く。新庄駅舎内にて

青森から秋田までの奥羽本線は、今回初めての路線(厳密には新青森-追分間)。秋田以南、最長なら新潟まで行けるが、この区間、羽越本線は以前に乗車済みなので、それを避け、内陸側に進む奥羽本線に引き続いて乗り、横手経由(ここまでも以前乗車あり)山形県新庄まで行くことに。この間、約3時間。車窓風景を眺める、暗くなってからは寝る、本を読む、ぼけーとするの繰り返し。

あれ、新庄駅はつい1週間ほど前も来たな。その日も退屈しのぎで、乗り潰しがてら、やってきたんだ。観光案内所や物産館、イベントスペースなどがある板張りの駅構内は、気持ちを和ませてくれる。前は涼しかったけど、今日はちょっと暑いぞ。まさか暖房してる? 


新庄駅からローカル線陸羽西線に乗って山形県を再び日本海側に向かう。終点酒田までは行かず、羽越本線との合流点余目駅で羽越本線に乗換え、鶴岡で列車待ちの間、駅前の居酒屋で夕食。そこから新潟との県境にある鼠ヶ関行最終列車に乗る。

単に遠回りしているだけの移動に、意味があるかといえば、多分ない。だが、駅待合室の明かりだけが煌々としているような、ローカル駅の存在もまた今の日本の現状だ。
奥の細道2007 下北半島 [2007年09月06日(木)]
『10分後の天気予報は…』


雨に周囲はけぶり、津軽海峡からの風にさらされ、灰色に
支配された空。寂寥感とはまさにこのことか…(風間浦村にて)

本州最北端に位置するJR下北駅からひと駅、大湊線終着駅の大湊駅で降りたときは細かい雨が降り、昼の2時過ぎだというのに薄暗かった。駅を出たほんの数歩のところにあるバス停に行くのさえおっくうになるほど、雨粒が肌に当たり冷たかった。

そこからバスで10分ほど移動した先の光景に目を見張った。ほとんど路面が濡れていない。ということは、雨が止んだのではなく、数時間は降っていないということだ。空は曇っていたものの、駅付近よりかは明るかった。

日常、天気の移り変わりは距離ではなく時間の経過で感じるものなので、4〜5kmくらいの間に、雨と曇りの境をはっきりみようとは不思議な感じだ。

この日午前中に同じ下北半島の北側を周っていた。どんよりとした雲から滴り落ち、しだいに強まる雨脚と、肌寒さにはもう夏の面影はなく、東北の秋はこうして急速にやってくるのかなあ、とすこし寂しく感じていたところだった。

大湊には3時間ほどいたが、その間雨は少しパラついたほど、濡れる間もなく止んだ。暗くなりだした6時ころ、バスで駅に向かう途中でまた雨が降ってきた。いや、まだ降っていたと言うほうが正しいかもしれない。その間、雨雲は移動せず、そのあたりがずっと雨と曇りの境目だったんだろう。

連日の雨が降るか降らないかわかんない天候続きに、もうどうにでもなれ、と開き直って向かった下北半島は、覚悟していた通りの雨。今日一日はずっとこんな調子だろうな、とあきらめていたのに、意外な展開だった。

天気というものは、現地に行ってみなければ分からないもんだ。


大湊に向かうバスに乗る数分前。路面はまったく濡れていない
奥の細道2007 三沢市 [2007年09月02日(日)]
『日本国内の米軍基地 これってどうよ?!』

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2日前盛岡市内で見かけたポスターで、この日の三沢基地航空祭のことを知り、急きょ行くことにした。三沢基地とは米空軍と航空自衛隊との共同使用。偶然にも年1回の基地解放日開放日にあたったわけだ。ついでながらここは民間空港も併設され、航空祭での両者のデモンストレーション飛行の合間にJAL機が発着する光景も見られた。航空機マニアにはたまらんだろうな。

にしても軍の基地というものは、とんでもなく広いもんだ。
案内図を見ると基地に入るには、JR三沢駅からはノースゲートまで市内を大きく迂回せねばならない。もうひとつのアクセス箇所、ウエストゲートには隣の小川原(こがわら)駅からがずっと近かった。迷うことはない、航空祭に向かう人たちはみな三沢駅で降りる中、ひとり列車に残った。下車した人の数の多さからも混雑ぶりが予想され、「次の駅のほうが近いし、人も少ないから便利なのに」と内心思ったが、どっこいそうはいかなかった。列車はだだっ広い田んぼや林野の広がるなかを8分、小川原駅までひたすら走る。その間、基地らしいものさえ見えない。少し不安を覚えた。「なぬ、こんなに遠いのか…」

    上) 田んぼの向こうに見える林は、基地隠しにもなっている
    中) 巨大通信設備、通称「像の檻」
    下) 三沢基地の前進、旧日本海軍航空隊基地時代に
      建てられたと思われる大格納庫

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奥の細道2007 八戸市 [2007年09月01日(土)]
『TBR(東北ボッタクリ鉄道) これってどうよ?!』

青森県三沢市に行くことにした。が、さてはて困ったもんだ。盛岡からは東北新幹線で八戸経由在来線の東北本線で行くか、第三セクターのいわて銀河鉄道(通称IGR)と青い森鉄道を乗り継いで、八戸経由で行くかしかないが、どちらも18切符は使えない(他の路線を廻ることもできるが現実的でない)。

新幹線の場合、30〜40分ほど、乗車券1620円と特急券1790円だが、これは自由席の料金で、よく調べてみると盛岡-八戸間はほとんどが全車指定席となっており、これだと特急券2300円、計3920円となる。しかし指定席がか自由席かはこちらが選ぶもの。30分ほどの乗車なら自由席で十分。また自由席と同額の立席特急券というのもあるが、満席で座れないのと、空席があっても座ることができないとでは大違い。運賃を超える特急代は見合わない。

第三セクターは、新幹線開業に伴い旧東北本線をそのまま受け継いでいながら、岩手県側と青森県側で二つの鉄道会社に分けられ、合計で2990円。JR同区間の倍近い値段、これではまるで料金の二重取りだが、別会社なのでその差に文句も言えない。

つまり、この区間を鉄道で移動するには、指定席しかない新幹線で4000円近く払うか、本数も少なく2時間近くかかる第三セクター線で3000円近く払うかしかない、ボッタクリ区間に思える。


夜の八戸駅。撮影した翌2日、夜9時頃でも人の姿はちらほら

新幹線の高速大量輸送の利便性と、莫大な建設費とシステム維持費による採算性は必ずしも一致しない。それにもともと採算性の低い在来線を抱えていては、運営は厳しい。ゆえに在来線を切り捨て、観光客やビジネス客を新幹線に囲い込み、地元住民には大幅に値上げした第三セクター線を押し付ける。このあたりを地盤とする国会議員先生が税金を使って新幹線を造らせ、いかにも自分の業績のように吹聴する一方、自らはタダで新幹線に乗りたいがための方便なのでは、と勘ぐってしまう。

結局、第三セクター線で八戸まで行った直後、遅れていた最終の新幹線が八戸に到着、改札から出てきた乗客はまばらだった。迎えに来ていた家族とともに立ち去った後、たちまち無人とり、まだ新しく豪奢な駅舎は虚しいまでの大きな空間となった。
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