たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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廣島行脚 ヒバクシャの言葉 [2007年05月26日(土)]
速度はそれほど速くないが、数分おきにやってくる路面電車は、昔も今も、広島市民の重要な足

被爆者の話を伺った。
70代後半の女性、Tさんとしておこう。これまでも修学旅行生らを相手に、語り部をしてきただけあって、話が上手だった。

当時17歳のTさんは、学校卒業後、軍需工場で働く毎日だった。8月6日のその日、彼女はたまたま徹夜明けの非番で、同じ工場に勤める友達と宮島に海水浴に行こうと約束し、己斐の自宅に一旦帰宅し、家で身支度をしているとき、ピカーっと光った。
気が付くと近くの芋畑に倒れていた。Tさんは、はじめは家のすぐそばに焼夷弾が落ちたと思い、火を消そうと家に戻ったが、爆風で家が傾いていたものの、火は出ていなかった。近所のおばさんたちが出てきて、「どうしたんじゃろ? どこにも焼夷弾は落ちとらん」などと話し合っていた。
翌7日以降、広島城隣にあった陸軍病院で看護士をしていた母の安否が気になり、方々を歩き回って探す…。

話を聞きながら、これまで見知ってきたことをツギハギしながら、その情況を思い浮かべようとした。
そう考えていくと、原爆の爆風に押しつぶされ、あるいは熱戦に焼かれた人と、助かった人。これらの違いは時として紙一重の差、偶然が重なったものだなと感じた。そして壊滅した街中で、Tさんはもちろん、数え切れない被爆者はどうやって過ごしたんだろう。食事や水は?お金は? 寝泊りは? どんなに想像しても、本当の惨状の足元にも及ばないだろうけど。

そのあと、他の参加者からこんな質問が出た。
「私も被爆しているので、その当時の状況はよく知っているけど、その話は何処までが実体験で、どこまでが人から聞いた話なのか。話が一緒になっていないか」という予想もしない言葉だった。
確かに話が滑らかすぎた感はあった。それはおそらく、聞き手が学生など、原爆のことはもちろん当時の社会背景などほとんど知らないであろうという前提条件のもと、限られた時間で分かりやすく話さなければならないので、最大公約数的な言葉の選択になったんだろうと、思う。それが、逆に受け取られてしまったことは、語り手、聞き手とも不本意なことだ。

同じ被爆者でも被害の程度の差、体験したこと、見聞きした状況に大きな差があることや、中には記憶がごっちゃになっている人もいるだろうが、それをまざまざと突きつけられたことは、初めて。被爆の実相を伝えることの難しさを実感した。

「あっかんべーっ」(?) 日清戦争時の廣島大本営跡礎石。これを契機に軍事都市として性格を強くする
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