たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
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二の丸御殿だってお城である [2008年09月20日(土)]
城郭探訪 京都 二条城 '05 10/16


江戸幕府の京都における拠点であり、朝廷に睨みを効かせる役割もあった二条城は、江戸初期には将軍の出入りも見られ、1611年、大御所となった家康と豊臣秀頼が会見するなど歴史の舞台となったが、政治も経済も江戸への比重が高まるとともにしだいに顧みられなくなった。

その後、落雷で天守閣(1750年)を、洛中大火災の延焼で本丸御殿(1788年)を相次いで焼失したが、天下泰平となった江戸中期にはもはや、天守閣は無用の長物となり、お城の中枢機能を担う本丸御殿も、城主(=将軍)が常に不在なうえ、本丸に次ぐ二の丸御殿が残ったのであれば、あまり用を成さない。そのいずれもが再建されなかったのは幕府の財政事情もあるが、実情に即した判断といえよう。

時代は下って幕末の1867年10月、江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜が大政奉還で政権を朝廷に返上したのが、残された二の丸御殿大広間。日本の歴史の大転換を見守ったわけだ。

二の丸御殿の大きさは半端じゃない。部屋の広さ、数、廊下の長さ、天井の高さや伏見城から移築したという唐門の重厚で壮大な造りは、いずれも息を呑むほどであり、木造としては破格。その醍醐味は、鉄筋コンクリート再建の天守閣などおよびじゃない。

明治以降、他のお城の建物が破却されたり、軍駐屯地になったり、官公庁の建物が建てられた中、二の丸御殿が残されたお城は二条城だけ。そういう意味でもっとも城郭らしいの姿を残しているともいえる。国宝だけのことはある。いや、世界文化遺産でもあるのだ。

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小学生のある年の秋の遠足が京都・二条城だった。そのころは「大阪=大坂城、京都=御所」という図式があり、天守閣のない、規模も小さい二条城は「お城」と思っていなかった。そんなことから、友達同士で「二畳」城と冗談を言っていた。こういう歴史の重さや奥深さを感じるのに、それから30年近い歳月が必要だったわけだ。
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