たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
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ソウルるん滞在記 '88 X百済の古都・プヨ [2008年06月25日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 X 百済の古都・プヨ 1988年9月14日(水)


もうひとつの百済時代の遺跡、人工池のクンナムチ(宮南池)を目指し、市内を南下。市街地を抜けるともう道は舗装されておらず、ジャリジャリと踏みしめる音が心地よい。辺りにはところどころ釣り人がいる程度で、ひたすら田んぼ、田んぼ、田んぼばっかりの、のどかで静かな田園地帯、ゆったりした気分に浸れるところだった。

近くにある望海亭は表示があるわけじゃなく、ここでいいのかな。「望海」といってもプヨは内陸だし、樹木ばっかりで見晴らしも効かない。「亭」といっても休憩所程度で何もすることがない。おまけに落書きがいっぱい、周囲はゴミだらけ…。

途中、道を塞ぐ形で標識板があった。通っていいのかどうか躊躇われたので、一つ一つハングルを解読していくと、「車両通行禁止」と判った。ならば人間なら通ってもかまわない。道すがら、こんなふうにして何でもないことでも、新しい発見をしているようで楽しかった。さらに、昼食を食べた食堂で会った二人のハラボジ(おじい)に又会う。「日本人ですか?」と、すぐに見破った二人は、ここでも日本語でいろいろと聞いてきた。この世代の人に日本語で話しかけられると少し心苦しいが、いい感じの人たちで、なんだか心が和んだ。

が、しばし上空をジェット戦闘機がすさまじい爆音とともに飛び去っていくことで、情緒を壊わされることもあった。このときばかりは、日本との国情の違いを感じた。

その後に向かったプヨ国立博物館では銅鏡や瓦、壷といった多数の展示物が、奈良の博物館にある古代日本の出土品を見ているような錯覚に囚われ、改めて百済時代の両国の交流の深さを実感。また、博物館の背後、プソ(扶蘇)山にあった百済王宮の栄華も今はわずかな遺構を残すだけ。サビ楼や迎日楼などの建物はどれも復元で、しかも同じ形に見えて区別がつかない。道に迷いそう…。そんな時、「日本人ですか」と呼び止められた。売店のハラボジだった。ハラボジは百済時代のプソ山の逸話を話してくれるとともに、若い頃日本に連れて行かれ、日立で働いていたとも語った。

プソ山の背後を流れるクムガン(錦江)は、その流れの形が龍になぞられ、その化身である白馬が潜むと言い伝えられ、地元の人ははるか昔からペンマガン(白馬江)と呼んでいる。
AD660年、シルラ(新羅)と唐の連合軍はこの地を攻めてきた。絶体絶命と追い詰められた3000余人の宮廷の女官たちは、敵の辱めを受けないために、断崖からペンマガンに身を投じた。その時のチマ(スカート)がひらめくさまが、さながら花の散るがごとくだったため、この付近はナッカアム(落花岩)と呼ばれている。その直前、彼女たちが身を寄せあったペッカジョン(百花亭)は、険しい岩場で、かつての歴史的事件を忍ばせるとともに、そこからの河の眺めは、ことのほか美しかった。

3年後の663年、百済再興を期した有名な白村江の戦いはこの河口、今のクンサン(群山)沖であったという。ここでも敗れた百済人たちは日本に逃れ、政治、文化の両面で大和朝廷を支えることになる。プソ山城址にある半月楼からみるプヨ市街は、こじんまりとしていたが、どことなく奈良の街並みを髣髴とさせ、百済の渡来人たちの郷愁を見た気がした(*)。

「プヨめぐりのハイライトは夕暮れ時のペンマガン下り」と、ガイドブックにあったので、時間を見計らって挑むことに。が、少し前からすっかり曇りだし、その目論見は崩れ去ってしまうも、静かな流れの中をゆっくりとゆっくりと下っていくのは、快適。一緒に乗っていた50歳過ぎくらいのアジョシが、80歳くらいの白髪の母親を連れていた。「オモニを一度プヨに旅行させたかったんだ」と言っていたのが印象的だった。

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この日残ったお金は400ウォン。いくらなんでもこれでは何も食べられない。銀行もとうに閉まっている。仕方がない、アイスキャンディーを夕食とする。さすがに侘しかった。 → 写真編


*「くだら」の語源は渡来人が母国百済のことを、大きい国とか立派な国の意味で言っていた朝鮮語の「クン・ナラ」が転訛したという説がある。また、「国」にあたる「ナラ」が「奈良」の語源説でもある。 
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