たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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旧国鉄宇品線を行く F [2008年05月28日(水)]
現代史彷徨:廣島行脚 旧国鉄宇品線を行くF 旧宇品線周辺の近代遺構・下

御幸橋 竣工:1931年(被爆時の橋は2代目) 爆心地から約2270メートル 

宇品築港造成工事中の1885年8月、明治天皇が広島を行幸した時に、この橋を渡ったことからそう名付けられた。相次ぐ戦争で、宇品港へ向かう出征兵士の多くはこの橋を渡り、帰ることはなかった。

被爆直後より、猛火に包まれた市内中心部からこの橋を通って、少しでも安全な郊外へと逃れる被爆者が後を絶たなかった(ちょうどこあたりが全壊・全焼地域との境)。誰もが火傷や怪我をし、服を剥ぎ取られ、足を引きずってのことだった。しかし、なかには爆風で欄干が倒れていため京橋川に転落した人もいたらしい。
中国新聞写真記者、松重美人氏が被爆当日、この橋の西詰め、千田町派出所前で救護を受ける被爆者の様子を捉えた写真が、被爆直後市内でもっとも早く撮影された(午前11時頃)として有名。同氏はあまりにも凄惨な光景ゆえ、涙があふれ、手が振るえシャッターを押すことにためらったという。
また、救出、あるいは家族や知り合いの安否を確かめるため、入れ替わるようにここを渡った人も多い。

路面電車、自動車、歩行者と往来が激しい御幸橋は老朽化により、90年、3代目に架け替え完了、派出所も92年まであった。(写真中段右 残された2代目御幸橋の親柱。街灯のデザインも2代目を踏襲=07/6撮影)

宇品警察署 竣工:1909年 爆心地から約4640メートル(写真中段左=07/4撮影)
水上の取締りをする水上警察署として発足、1937年同じ建物内にあった宇品警察署に業務を引き継いだ。戦後も引き続き警察署として使われるが、64年に南警察署として移転、その後広島県港湾事務所が81年まで入居、今も倉庫として県管理のもとにあるようだが、付近は高層住宅が建つなど、広島南道路建設に伴い再開発中。原爆で木造建物のほとんどを焼失した広島では(広島以外でも)希少な明治期の洋風建物だが、保存されるのかどうかは不明。


千田廟公園 爆心地から約2800メートル (写真中段中=07/6撮影)
浅瀬だった広島湾は、宇品築港事業でおおむね今の黄金山通以南を埋立てた。その最も北側、宇品新開地の入り口に(区別はつかないが)、築港事業の立役者、つまり広島近代化の礎を築いた広島県知事千田貞暁(せんだ・さだあき(1836-1908))の像(1915)や自身の揮毫による宇品新開地記念碑(1908)、千田神社(1925)がある。像は「設計図を手に堂々と広島湾をのぞむ」と碑文に書かれているが、広島湾のある南〜南西ではなく、ほぼ西を向いている。

千田は、計画について有志百数十名を集め満場一致の賛同を得たというが、いつどういう形式だったのか、有志とはどんな資格の人たちなのかは分からない(彼に都合のいい人ばかりだったかもしれない)。彼が官選知事に就任する2年前、1878年に制度化されたばかりの県議会は権限が弱かったとはいえ、事業決定の経緯(議会を経ていない?)や、予算の大半を国庫からまかない、さらに千田自らも私財を投じるなど、事業の位置づけがハッキリしない。

宇品港竣工直前に新潟県知事になった千田は、石油採掘を手掛けるなど事業欲は旺盛だったようで、後に高く評され、晩年は貴族院議員を務めた。
他にも南に1600mほどの千暁寺、京橋川を挟んだ対岸の中区千田町も彼の名にちなむ。


御幸通 (写真下左=07/6撮影)
千田廟公園西から宇品海岸までの南北に連なる通り。御幸橋と同じく明治天皇行幸時に、この道を通ったことを記念し、名付けられた。また天皇が植えたという御幸松が海岸付近にあったが、後に千田廟公園に移植された。

中国配電南部変電所 竣工:1943年 爆心地から約3790メートル (写真下右=07/6撮影)
被害が軽微だったため、被爆翌日には送電再開している。94年までそのまま変電所として使われ、現在は中国電力系不動産会社が所有、賃貸物件になっているようだ。何の変哲もないやや古いオフィスビルという感じ。
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