たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
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旧国鉄宇品線を行く A [2008年05月01日(木)]
現代史彷徨:廣島行脚 旧国鉄宇品線を行く A 歩み 4/9


宇品線は原爆の翌日、8月7日夕方にはもう運転を再開、被爆者を広島湾似島にある陸軍検疫所まで搬送するため、宇品港まで走った。爆心地から離れており、直接被害が少なかったことが大きな理由だが、運転士始め多くの職員に死傷者は出たはずだし、山陽線は大きな被害を出し、運行システムもズタズタだったに違いない。
にも関わらずいち早い運転再開は、宇品線が軍需物資輸送の重要な担い手、つまり軍事最優先だったからではないか、と思うのは邪推だろうか。

東京からの鉄道が広島まで開通した1894年6月、李氏朝鮮の支配権を争って日清両国の関係は悪化、その2ヶ月後の8月、ついに開戦。すでに近代的港湾として整備され、その機能を持て余していた広島・宇品港が陸軍の出撃拠点として注目された。そして開戦直後、兵員物資を運ぶため、軍専用線(陸軍の管轄)として、広島駅から宇品港までの5.9kmを、わずか17日間の突貫工事で完成させたものが、宇品線だ。

広島はこのとき、日本国内での最前線として大本営が設置され、天皇と帝国議会も移ってくるなど臨時首都となリ、以来、日露戦争、シベリア出兵から太平洋戦争にいたるまで、同線は膨大な軍需物資(沿線一帯に陸軍糧秣支廠(現広島市郷土資料館)、陸軍被服支廠、陸軍兵器補給廠が造られ、最短距離で搬出できた)と兵員を戦場に送り出してきたいわば、軍都“廣島”の実働隊だったわけである。


旅客輸送は日清戦争後に始まっていたが、戦後、宇品線沿線には原爆で被災した県庁が一時的に移転(陸軍兵器補給廠跡)し、マツダの工場進出、広島大学医学部(県庁が再移転後の陸軍兵器補給廠跡を利用)等学校の通勤通学客で活況を呈していたが、軍事輸送という元来の役割がなくなった非電化単線の路線は需要が伸びることはなく、広島の復興、自動車の普及とともにしだいに旅客は減り、国鉄赤字ローカル線ワースト1へと転落、1972年全面旅客営業終了、以降1日1往復の貨物輸送をほそぼそと続けるが、それも86年9月、国鉄がJRに代わる半年前に潰えた。

普通ならそのまま都市開発に飲み込まれ、忘れ去られるものだと思うが、宇品線は部分的にその痕跡をとどめ、あるいは地元住民に語り継がれている。
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