たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
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登庁は登頂でござる [2008年04月11日(金)]
城郭探訪10 備中国 松山城(高梁城) 4/8

高松から松山へ。でもここは岡山県内である。

山陰と山陽をつなぐ交通の要衝として備中松山城は、1240年にその起源を求めることができる。まだ鎌倉時代中期だ。初期の城は山の上に作られるが多かった。高所は周囲を見渡せ、敵を攻めやすく、敵から守りやすいとして軍事戦略上、重要点になるからだ。

1683年、当時の藩主によって今の姿に改築された天守閣は、明治維新後の廃城令で破却の運命にあったが、政府には「破却しました」と伝え、実際は放置されていた。山上にあるがゆえ、その費用がまかなえず、検証もされなかった。以後、城は荒れるに任され、幽霊屋敷のごとく見るも無残な崩落寸前であった昭和初期、地元の有志により、復旧保存運動が起こり、1940年に解体修理をした。

その際、極力現状保持のため、同じ素材を使ったり、忠実に複製したりしてダメになった箇所を入れ替える。いわば新陳代謝みたいなものだ。

よく見ると、部分的に接木をするように新しい木材になっていることがわかるが、面白いことに、もともと割目があった柱の部分的な補修箇所に、位置がずれることなく割目を入れている。補修するのに強度が弱くなる割目入れてどうすんだ?! と一瞬思うが、時間がたてばその箇所もなじみ、違和感なくなるんだろうな。

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地上430メートルにある天守閣の規模は、案外小さい。それは軍事要塞としてより、統治者の権威付けの意味合いが強かったらしい。天守閣はじめ、幾重かに築かれた石垣なんかの資材を運び上げるだけでも、相当な労力を要する。当然、それだけの権力や財力がないと人も物も動かせない。

が、さすがに戦国の世も終わった江戸時代には、城主はふもとにある御根小屋で生活も政務もしていたという。そりゃそうだろうな。食料、水等の日常物資の運搬だって重労働だ。戦国後期以降に作られた城は、小高い丘、そして平地へとしだいに標高が下がっていったことは、ここを訪れて十二分に納得した。
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