たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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廣島行脚 当日 [2007年08月06日(月)]
今日は朝から曇りがち。7時ごろ2、3度激しく雨が降ったこともありすこし涼しく感じられた。あの日もこんな天気ならば原爆は使われなかった。あの日は早朝から快晴、先行していた気象観測用B29がその報を伝え、廣島がヒロシマへと変わった。すでに米軍はレーダーによる爆撃技術を持っていたのに、原爆に限っては目視爆撃を厳命されていたのは、なぜだろう。

左)原爆ドーム横でのダイイン 右)次の世代へとその思いは伝わっていく

いや、たとえ晴天であっても、迎撃戦闘機が飛んでわずか3機のB29を撃墜はできなくても、追い払うくらいはできたはず。そのころの日本の戦闘機は、爆撃機であるB29にさえまともに立ち向かえなかった。さらには本土決戦に備え、戦闘機を温存する目的で、敵数機程度の侵入なら迎撃に向かわない方針だったという。これは軍の職場放棄であり、敵前逃亡に等しいだろう。そこまで無能力化していながら、戦争を続けたがった軍首脳たちはいったい何をどうしたかったんだろうか。

左)8時15分、原爆ドーム前で黙祷を捧げる人たち
右)一緒に折鶴を折る親子。かつては子どもの遊びだった折鶴は、
時代を経て平和を紡ぐひとつの象徴となった

平和公園一帯は日本中、世界中から多くの人が訪れ、非日常の空間と化し、独特の雰囲気が生まれる。

上)江波で被爆したヒロデンの電車。以降、外枠やシャーシ以外は
大幅に改良されながらも昨年6月まで現役で走っていた
下)市内各所にある原爆犠牲者慰霊碑にも花が手向けられる

恒例の慰霊の灯ろう流し。この時季のこの時間は、潮の満ち引きの
関係からかほとんど流れずに元安橋付近で留まっている


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