たまの休日に写真機材を抱えて京阪神のいずこかに出没、目指すは紀信かアラーキーか。みずからの愚かさ、未熟さ、時にはクライアントの理不尽さに嘆きつつも、世界を股にかけ写真を撮りまくることを夢想する・・・。
デジタル化の波に否応なく呑み込まれ、もみくちゃにされながらもどっこい生き残りを賭ける赤貧写真家の徒然なるブログである。

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ソウル・オリンピック競技観戦記  ペグ&ヤグ  [2008年07月23日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 ] オリンピック競技観戦記 ペグ&ヤグ 9月19日(月)

 
たくさんある競技の中でどれを観るか、迷った。決め手はなく、結局無難な線で、ナムヂャ・ペグ(男子排球=バレーボール)予選を選んだ。現地での勝手も分からないし、チケットも入手困難と思い、出発前に日本で手配・購入したが、8000ウォン(約1500円)の券が2800円と高いのは仕方ないとして、観客はがらがら、当日でも購入でき、おまけに3等指定席で1等の席に座れたりしたので、「こんなんでいいの?」と、思った。

バレー観戦後すぐに、ソウル総合運動場へと向かった。はじめはバレー以外の競技を観るつもりはなかったが、チケットが簡単に手に入ると分かって急に気持ちが変わり、別の競技も観たくなったからだ。

チャムシル・ヤグジャン(蚕室野球場)でヤグ(野球)、米国対韓国を観ていると、後方がなにやら騒がしいというか賑やかしい。振り返ってみると、袴を着て、韓国の旗を振り騒いでいる人がいた。
「でた! オリンピックおじさんや!!」
以前TVで紹介されているのを覚えていた。オリンピックのたびに出かけては日本だけでなく、他の国の応援もしてるという。だよな、この日、野球では日本の試合なかったもん。
プレー中は静かだが、回と回の間になるともうお祭騒ぎ、周囲のアメリカ人(たぶん)にも大うけで、いっしょに騒ぐ人もいた。このおじさん、北京オリンピックにも出かけるんだろうな。

それとは別にやはり回と回の間に、通路に出てきてふりふり付き衣装で踊りだす若い韓国人の一団がいた。これもたぶん応援のつもりだろうが、見ていて結構恥ずかしい感じがした。踊っている当人たちはもっとだろう。

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ネコだって川床である [2008年07月20日(日)]

祇園祭のころ、京都の夏は蒸暑い。だからいにしえ人は加茂川に床を張り出して涼をとった。

ネコだって夏は暑いんである。涼しいところ、快適なところを見つけ出すのが上手いネコたちは、ちゃっかり加茂川べりで涼んでいる。


















ソウルるん滞在記 '88 \            冷戦の最前線へ [2008年07月18日(金)]
ソウルるん滞在記 '88 \ 冷戦の最前線へ 9月18日(日)


世界で一番ホットなところをよそに、世界で一番コールドなところに来た。

彼らの土地でありながら韓国の一般民間人が、立ち入ることのできぬパンムンジョム(板門店)は、外国人が定められたツアーによって訪門できる南北朝鮮唯一の接点。国連軍と北朝鮮軍、両軍が対峙し、管理し、監視しあう東西冷戦の最前線ゆえ、一触即発の危険との隣りあわせである。事実、この数年前北朝鮮側からパンムンジョムを訪れていたソ連人大学生が、韓国に亡命をはかり、両者の銃撃戦となったことは、記憶に新しかった。またTシャツやジーンズといった軽装、ピースサインや手を振ったりすることは、利敵行為と見なされ、認められない。昨日のロッテホテルでの手続きも、革靴を買ったのもここに来るためだった。
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兵どもが夢のあと [2008年07月13日(日)]
城郭探訪14 摂津国 大坂城(錦城) 7/13


年に何回か訪れる大坂城だが、今回はいつもと違って新しくなった大阪府警本部向かい、大手門から入っていった。実はこちらがお城でいう正面玄関。これまでとは違う角度からの大坂城の姿が新鮮に映った。

大手門をくぐるとまず目に入るのが、デン、デンとこれをみよがしにある多聞櫓石垣のふたつの巨石。徳川築城時のもので、推定重量108トンと85トン。現代の大型ダンプカーでも運ばれへんで、というくらいあきれるほどデカイ。幕府の権勢をいかに見せつけるか、ということを如実に示している。

西の丸庭園ていうのもあるんや。中には入れなかったが、かなり広そうだ。その向かいにある煉瓦壁は、おそらく陸軍施設時代の産物かもしれない。

大坂城ができる以前、この場所にあって大きな勢力を誇った石山本願寺は織田信長との抗争に敗れ、秀吉、徳川それぞれの大坂城築城でその痕跡は完全に埋立てられてしまい、定かでない。修道館横にある控え目で、ひっそりとたたずむ「石山本願寺推定地」標柱は、まるで「兵どもが夢のあと」。歴史の栄枯盛衰を見た気がした。
環境にやさしく [2008年07月09日(水)]

『CFカード受難 その後』
某台湾製256MBと512MBのCFカード、買った当初は他メーカーの半額近い破格の安さで、財布にやさしかった。名もなきメーカー品、こんなに安くて大丈夫かいな、という不安をよそに大活躍してくれたが、07年秋、突然書込みエラーを連発、続いて読込エラーとなり、ついにはPC本体もフリーズするほどの認識不能までに。やっぱ安物は危険だなあと思いつつ、なんとか復旧を試みるも、高度なデジタルテクニックを持たないので断念した。

先日、ふとダメもとでとあるユーティリティーの完全データ消去機能、ゼロライト(データをすべてゼロ=0にする)というものをしてみるとアラ不思議、書込み読込みとも復活したじゃあ、あ〜りませんか。

最近のメモリーカード価格の下落で、ようやっと大容量CFカードを揃えたため、いまさら主力として使うことはないが、まあプライベートでしかも予備とか、データの外部保存程度なら使えるだろう。今度は環境にやさしかった。洞爺湖の首脳たちに報告しようか?


ソウルるん滞在記 '88 [    オリンピック開幕 [2008年07月08日(火)]
ソウルるん滞在記 '88 [  オリンピック開幕   1988年9月17日(土)
 
20年前の1988年9月、アジアで2番目のオリンピックに沸く韓国に乗り込んだ。韓流ブームなどはるか以前、ヨン様だって高校生だったころの韓国は、隣国でありながら、日本からは見えにくい存在だった。躍動するこの国を自分の足で歩き、目で見て、耳で聞き、言葉を交わした感動や興奮は、これまでにないものだった。
北京オリンピック開催まであと1ヶ月、それを記念して、当時を振り返る第8段。


韓国に入って1週間、だんだんとこの国に馴染んできた。

ロッテホテルで所用を済ませようとするが、手続き上宿泊先の住所と電話番号が必要とのこと。住所はともかく、電話番号は控えていなかったので、分からない。とりあえずホテルロビーにあった電話帳を繰ってみるものの、見方が分からず見つけられない。このままだと明日以降の予定が狂ってしまう。どうすればいいのか、途方にくれていると、50歳過ぎくらいのアジョシが「どうしましたか?」と日本語で訊いてきた。事情を説明すると、何箇所かに電話を架け、しばらして番号が判明した。その間、心ここにあらず…。
電話番号調べくらいなら大して手間がかからないだろうが、偶然居合わせただけの見ず知らずの外国人に、親身になってくれるアジョシの親切心は、本当にありがたかった。

ひと安心の後、ロビーのTVでオリンピック開幕式をしばらく観る。次々と入場してくる各国選手団の様子に興奮してきた。今この瞬間に、少し離れたところで進行している歴史的イベントをTVで観るために、ここに来たわけじゃない。生のオリンピックを体感すべくソウルに来ているんだから、ちょっとでも現場に近づきたい。開幕を記念する行事でもあればと思い、とりあえず一夜明けたソウル市庁前の聖火を見に行く。そこは、前夜の興奮が嘘のように静かだったが、ロータリーを車がビュンビュン走り、観光客の姿は絶えなかった。また、無残な状態だった花が、一晩で丁寧に植え直されていたのには、感心した。

が、これ以上どこで何をやっているか、それがあるのかどうかさえ皆目不明だったので断念。結局、開幕式は一部しか観てないので、今もってどんなものだったのか不明である。


その後、革靴を買うため、いくつかの店を回る。どこぞのお店では店員がガムをくっちゃらくっちゃらさせながらの応対に、驚いた。決して裏通りで、偽ブランドを売りつける怪しいあんちゃんではない。スーツ姿の、英語で応対する立派な構えの店だった。日本人の感覚からすればフランクすぎて、考えられない。そういえば、これまでもやたらとガムをくっちゃらくっちゃらさせている韓国人を何人も見かけた。きっと日常的な風景なんだろうな。いいとか悪いとかではなく、ちょっとしたカルチャー・ショックだった。
出雲国 松江城 [2008年07月05日(土)]
城郭探訪13 出雲国 松江城(千鳥城) '07 4/10

全体に黒い腰板を貼った壁面が印象的。1611年築城当時よく見られた桃山様式だそうだが、あれ、造られたのは江戸時代だよな。築城後そのままの姿で今に至る天守閣は平面規模(床延面積のこと?)が姫路城に次ぐ規模、高さが3番目というが、ピンと来ない。姫路城や、再建大坂城を何度も見ていると、どの天守閣も小さく見えてしまって、どうもいけない。

とはいえ褐色がかった木の柱や黒ずんだ板目を見ると、落ち着くというか、居心地がいい。その風格、重みといったものは、約400年という時間をかけて生み出されたものだけに、目に見えず、かつ数字には置き換えられない、その場でしか感じられないものだ。

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ほとんどのこの手の見学時間は17時まで、夏場18時までなのに(通年16時までというのも珍しくない)、ここは4月〜9月8時30分〜18時30分まで(10月〜3月17時まで)。これは見学の自由度が高まってありがたい。訪れたのはお昼過ぎだったので関係ないけど。w(>o<)w
ソウルるん滞在記 '88 Z             オリンピック開幕前夜 [2008年06月29日(日)]
ソウルるん滞在記 '88 Z オリンピック開幕前夜 1988年9月16日(金)


市内数箇所で行われるオリンピック競技場のひとつ、オリンピック公園は百済時代のモンチョン土城遺跡を囲むように体操、水泳、テニスなど6つの競技場と人工湖が配置され、とても広く静かで、緑も多く快適な空間。時間がたつのを忘れてしまいそうだった。またあちこちにある彫刻物が芸術性もアピールしている(よく分からんが)。各国の取材団以外にまじって、TV局の取材中の日本代表選手を見かけ、オリンピックいよいよ本番、という雰囲気が伝わってきた。

続いて訪れたオリンピック・メインスタジアムがあるソウル総合運動場(チョンハプウンドンジャン)は、先ほどのオリンピック公園とはうって変わって、厳重な警備で、ゲートはバリケードをされ、中に入れなかった。これまでTVなどで見たメインスタジアムを、ついにこの目で見られる、と興奮気味で行ったものの、その気概を挫かれてしまい、遠目から見るしかなかった。とは言え、全く違う意味で、開幕を明日に控えているという緊張感を実感した。

ソウルを東西に流れるハンガン(漢江)をめぐる遊覧船に乗る。この時も夕暮れ時を狙うが、雲行きが怪しくなってきた。船に乗るたびに天候にたたられるな、と思うやパラパラ程度だった雨は、ついには激しいスコール状に。デッキにいた観客もみんな室内に引っ込んでしまった。幸い、夕立はまもなく止み、到着先のヨイド(汝矣島)が見える頃には、雲の切れ間から夕陽も見え、そのコントラストがとても美しかった。

ヨイドはソウルのマンハッタンと呼ばれ、副都心として急速に発展した。シンボル的なのがテハンセンミョン・ユクサム(大韓生命63)ビル。東京・池袋にあるサンシャイン60(239.7m)よりも少し高い(249m)のが、ソウルっ子の自慢のタネとなっている。もっとも63といっても、地上63階ではなく実際は60階で、あとの3階は地下階を足している。セコイというか涙ぐましいというか…。

暗くなり始めたヨイドでは、オリンピック前夜祭のイベントが始まり、ものすごい数の人であふれかえり、ほとんどパニック状態。そこから市中心部に向かおうとするが、タクシーはなかなか捕まらず、ようやく捕まえても、大渋滞でさっぱり進まない。メーターはどんどんと上がっていく。挙句のはて、前夜祭で打ち上げられた花火を見るため、運転手は車を降りて見物するしだい。おまけに相乗りしてきたアガシ(若い女性)は何も言わず、1円、いや1ウォンも払わずに降りていった。ちょっとかわいかったけど。

ソウル市庁前に来るとまた人だかりが。韓国全土を回ってきた聖火が、開幕式前夜最後の泊地として市庁前ロータリーに到着したところ。みんな聖火を見ようと、もみくちゃ、わやくちゃ。私も停車しいてたどこかのトラックの荷台に勝手に登って、聖火を撮影した。一方で、そのそばで綺麗に植えられていた花壇の花が記念のつもりなんだろう、あらかた引っこ抜かれ、めちゃくちゃになっていた。前日、そこを通った時、一生懸命に手入れしている様子を見ていたので、悲しくなった。

市庁舎に掲げられた700日前から始まったカウントダウンの電光掲示板がついに「1」を表示、世紀のイベント前夜は深夜になっても興奮に包まれていた。 写真編 ⇒ 9/16
ソウルるん滞在記 '88 Y  ソウル到着 [2008年06月28日(土)]
ソウルるん滞在記 '88 Y ソウル到着   1988年9月15日(木)


プヨからバスで3時間半、いよいよソウルに乗り込んできた。

見たいところはたくさんあるが、たぶん、ここが一番分かりやすいところと思い、ソウルど真ん中にある李朝時代の離宮、トクスグン(徳寿宮)に向かう。地下鉄シチョン(市庁)駅で降り、とりあえず背負った荷物をコインロッカーにしまおうとするが、どこもかしこも閉まっている。稼働率100%?! そんなに利用されるのかなあ、と思案するが、「そうか、テロ防止のためにすべて閉鎖しているのか」。オリンピックならではの光景なんだろうと、そのまま荷物を持っていった。

トクスグンは1590年、第9代ソンジョン(成宗)王の時に造られ、壬申倭乱後の一時期や大韓帝国と改称した1897年以降王宮となったもの。ソウル市庁やプラザホテルのすぐ西隣、他にも大きなビルやホテルに囲まれているオアシス的な存在だ。

この日から1週間、オリンピック期間中急増する外国人旅行者向けの一般市民宅での民泊となる。旅行社でもらった手書きメモを片手に、ソウル郊外で地下鉄とバスを乗り継いで1時間ほど、ごく普通の住宅地の光景に戸惑い、道に迷い、不安と期待が入り混じるなか、そのC氏宅へと向かう。

C氏は30歳過ぎくらい、高校で工業技術を教える先生。個人的に日本語を学習中で、簡単な会話なら問題なかった。まだ日本には行ったことがないので、早く行きたいという。そして希望していた日本人の滞在を喜んでくれていた。お連れ合いさんは大学時代に知り合ったというひとつかふたつ年下、初めての赤ちゃんがお腹にいる。二人とも気さくでご主人、奥さんというよりも、お兄さんお姉さんという感じで、不安は解消された。

歓迎酒としていただいた初めての高麗人参酒は、ちょっときつく飲み切れなかった。
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ソウルるん滞在記 '88 X百済の古都・プヨ [2008年06月25日(水)]
ソウルるん滞在記 '88 X 百済の古都・プヨ 1988年9月14日(水)


もうひとつの百済時代の遺跡、人工池のクンナムチ(宮南池)を目指し、市内を南下。市街地を抜けるともう道は舗装されておらず、ジャリジャリと踏みしめる音が心地よい。辺りにはところどころ釣り人がいる程度で、ひたすら田んぼ、田んぼ、田んぼばっかりの、のどかで静かな田園地帯、ゆったりした気分に浸れるところだった。

近くにある望海亭は表示があるわけじゃなく、ここでいいのかな。「望海」といってもプヨは内陸だし、樹木ばっかりで見晴らしも効かない。「亭」といっても休憩所程度で何もすることがない。おまけに落書きがいっぱい、周囲はゴミだらけ…。

途中、道を塞ぐ形で標識板があった。通っていいのかどうか躊躇われたので、一つ一つハングルを解読していくと、「車両通行禁止」と判った。ならば人間なら通ってもかまわない。道すがら、こんなふうにして何でもないことでも、新しい発見をしているようで楽しかった。さらに、昼食を食べた食堂で会った二人のハラボジ(おじい)に又会う。「日本人ですか?」と、すぐに見破った二人は、ここでも日本語でいろいろと聞いてきた。この世代の人に日本語で話しかけられると少し心苦しいが、いい感じの人たちで、なんだか心が和んだ。

が、しばし上空をジェット戦闘機がすさまじい爆音とともに飛び去っていくことで、情緒を壊わされることもあった。このときばかりは、日本との国情の違いを感じた。

その後に向かったプヨ国立博物館では銅鏡や瓦、壷といった多数の展示物が、奈良の博物館にある古代日本の出土品を見ているような錯覚に囚われ、改めて百済時代の両国の交流の深さを実感。また、博物館の背後、プソ(扶蘇)山にあった百済王宮の栄華も今はわずかな遺構を残すだけ。サビ楼や迎日楼などの建物はどれも復元で、しかも同じ形に見えて区別がつかない。道に迷いそう…。そんな時、「日本人ですか」と呼び止められた。売店のハラボジだった。ハラボジは百済時代のプソ山の逸話を話してくれるとともに、若い頃日本に連れて行かれ、日立で働いていたとも語った。
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