あの日から...
2012年3月12日(月) 18:21
一年が過ぎたのですね。
でも、一年が過ぎただけです。
まだまだ、何も決まらない、悔しい気持ちの被災された方々を思うと、何か一年という事で区切る事に違和感を感じる様な気もします。

この一ヶ月、偶然が重なって、友人と食事をしたり、お茶をしたりする機会が何回もありました。
普段からそんなに付き合いの良い方ではない感のある私...ですが、何かウキウキして出かけては、楽しい時間を過ごしたのです。
私も含め、みんな生きていく事には何らかの悩みや問題があったり、人と会って話す事で、自分の考えが整理されたり...。
それも、友人が元気でいてくれるからです。
一年経って、やっと希望をみつけられたり、人と話せる様になった被災された方々の事を思い、何をするにも、後ろめたい気持ちになる事もありましたが、やはり人との交流が明るい方へひかれていく様に、私達は明るい方へ進んでいく事が復興への道のりなんだ、と思いあらためました。
この春から新しい茶道の稽古が始まる事になって、今までより茶道と向き合う時間を増やす事が叶いそうです。
今、色々と読書によっても勉強を始めていますが、「う〜ん」と読んでいて納得できた事があったので、ここに書きます。
フク紗さばきの解釈
一、未ださばかないままのフク紗は、天地無分乾元の一機といって、天とも地とも区別が付かない以前、直載根源ともいう。
二、それを二つ折りにすると、天地分明、天地が判然とし、陰陽ができる。
三、四つ折にすると、四天王、東西南北となる。すなわち東は持国天、西は広目天、南は増長天、北は多聞天のそれぞれの守護神となる。
四、四つ折を更に折ると八つ折となり、八相成道で、仏の涅槃に至るまでの八相、すなわち受胎、隆生、処宮、出家、成仏、降魔、説法、涅槃となる。
五、十六折が十六智見。
六、十六折を二つに折ると三十二折で、仏の三十二相八十種好相といって、仏の徳相を示し、これをもって衆生の塵を払うのである。拭えば、ばらりとさばいて、如来地から、菩薩地に下り、和光堂塵の境界となって、また元の乾元に戻る。
以上の様に真のさばき方には、仏教的な解釈があるという事です。
心を仏に念じつつ、一つ一つ折りたたみ、ただ器物を清めるのではなく、同時に自分の心も清めるという所にフク紗さばきの真の目的がある、と書かれていました。
普段から、茶道の所作の中に清々しい気持ち、粛々とした気持ちがしていた私はなるほど!といたく感じ入り、納得にいたりました。
茶道に限らず、普段から自身の暮らしの中にこの様な気持ちをもっていきたい、毎日バタバタ暮らしているとつい忘れてしまうけれど、普段の歩き方が茶室に出る事を思うと、気を引き締めて暮らしていきたい、と思うわけです。
この様に茶道の中に仏の道を見出し、心を鍛える機会を利休居士は残してくださった。
茶道をすると心が落ち着くのも至極あたりまえの事ですね。
あの日から一年、明るい方へ希望の世へ、亡くなった方々が成仏をとげられますように...。
合掌。
でも、一年が過ぎただけです。
まだまだ、何も決まらない、悔しい気持ちの被災された方々を思うと、何か一年という事で区切る事に違和感を感じる様な気もします。
この一ヶ月、偶然が重なって、友人と食事をしたり、お茶をしたりする機会が何回もありました。
普段からそんなに付き合いの良い方ではない感のある私...ですが、何かウキウキして出かけては、楽しい時間を過ごしたのです。
私も含め、みんな生きていく事には何らかの悩みや問題があったり、人と会って話す事で、自分の考えが整理されたり...。
それも、友人が元気でいてくれるからです。
一年経って、やっと希望をみつけられたり、人と話せる様になった被災された方々の事を思い、何をするにも、後ろめたい気持ちになる事もありましたが、やはり人との交流が明るい方へひかれていく様に、私達は明るい方へ進んでいく事が復興への道のりなんだ、と思いあらためました。
この春から新しい茶道の稽古が始まる事になって、今までより茶道と向き合う時間を増やす事が叶いそうです。
今、色々と読書によっても勉強を始めていますが、「う〜ん」と読んでいて納得できた事があったので、ここに書きます。
フク紗さばきの解釈
一、未ださばかないままのフク紗は、天地無分乾元の一機といって、天とも地とも区別が付かない以前、直載根源ともいう。
二、それを二つ折りにすると、天地分明、天地が判然とし、陰陽ができる。
三、四つ折にすると、四天王、東西南北となる。すなわち東は持国天、西は広目天、南は増長天、北は多聞天のそれぞれの守護神となる。
四、四つ折を更に折ると八つ折となり、八相成道で、仏の涅槃に至るまでの八相、すなわち受胎、隆生、処宮、出家、成仏、降魔、説法、涅槃となる。
五、十六折が十六智見。
六、十六折を二つに折ると三十二折で、仏の三十二相八十種好相といって、仏の徳相を示し、これをもって衆生の塵を払うのである。拭えば、ばらりとさばいて、如来地から、菩薩地に下り、和光堂塵の境界となって、また元の乾元に戻る。
以上の様に真のさばき方には、仏教的な解釈があるという事です。
心を仏に念じつつ、一つ一つ折りたたみ、ただ器物を清めるのではなく、同時に自分の心も清めるという所にフク紗さばきの真の目的がある、と書かれていました。
普段から、茶道の所作の中に清々しい気持ち、粛々とした気持ちがしていた私はなるほど!といたく感じ入り、納得にいたりました。
茶道に限らず、普段から自身の暮らしの中にこの様な気持ちをもっていきたい、毎日バタバタ暮らしているとつい忘れてしまうけれど、普段の歩き方が茶室に出る事を思うと、気を引き締めて暮らしていきたい、と思うわけです。
この様に茶道の中に仏の道を見出し、心を鍛える機会を利休居士は残してくださった。
茶道をすると心が落ち着くのも至極あたりまえの事ですね。
あの日から一年、明るい方へ希望の世へ、亡くなった方々が成仏をとげられますように...。
合掌。



:今回、親子レッスンに参加して下さった皆様、本当に有難うございました〜!!

