「事実」と「意図」の関係
2008-05-31 22:24:05
「どうして、こういうふうに書くんだよ!?」
「ぜんぜんダメだ!これぢゃあ!」
会議資料を前にして、ジョウシがその上のジョウシから
激しく詰問されているのを、何度となく見てきたわけだが。
「どうしてもいつも、あんなふうに一方は詰問口調になり、
他方は、萎縮してしまうんだろうか?どうしてそうなってしまうんだろうか?」
と疑問には思っていたのだ。
それが・・最近、少しわかったような気がするので、書くんだけれども。
例によって「あくまでひとつの見方」なので^^;
===
ヒトが語ったり、創作したりするとき、
「語った事実」「創作した作品という事実」、が在ることになるんだが、
その「事実」は、そのヒトの「意図」、つまり、「こう思った」ということに
端を発しているのだ。
簡単に言うと、「事実」は、「意図」が形となって現れたもの。
そして、往々にして、その「意図」は、あまり意識することが
なかったりする。
「ある事実」に対して、「どうしてコレなの?」と訊いたとき、
「いや、だってコレ、こういうふうにするのが当たり前でしょ?」
という答えが返ってくるのがその証左だ!
だから、「どうしてこういうふうに書くんだよ!?」って「意図」に対して
質問しても、「いや、だって、これが当たり前だと思って・・ごにょごにょ・・」
と、ジョウシの「詰問」に対して、萎縮してしまうことになるのだよなぁ・・。
たとえば、ジョウシは、ちょっと意識して、「事実」に対して、「質問」してみたら
どうだろうか?
「どうして、こう書いたんだ!?」と「意図」を問うのではなく、
「ここに、こう書いてあるのは・・・・?なぜなんだろうか?」
と、「事実」に対して問いを発してみる。
そうすることで、「そう書いたヒト」は、「そう書いた自分の意図」を
ものすごく再確認、再点検せざるを得なくなるのだ。
その「点検」の過程で、
「はっ!そうか!自分がこう意図したことは、
じつは、間違いだったのでは!?」
と「気づき」、「とても納得して」 「事実=会議資料として書くこと」を修正することも
できるし、ジョウシの「質問」に対して、「自分の意図」をもって冷静に議論できる
素地ができるのだ。
なのに・・・「その人が、意識することなく 当たり前」だと思っていた「意図」
に対して、「攻撃」してくるもんだから、「え!?」と戸惑うか、
「当たり前のことにごちゃごちゃ言ってんぢゃねぇ!」と逆切するか、
のどちらになるんだよなぁ・・。
「事実」と「意図」。
これ、意識すること、案外、大事だと思うのだが・・・。
思うのだが、これを「元ウチのカイシャのジョウシ」たちに伝える術がないなぁ・・・
ま。
伝えたとしても「きょとん」とされるばかりであろうが^^;
「ぜんぜんダメだ!これぢゃあ!」
会議資料を前にして、ジョウシがその上のジョウシから
激しく詰問されているのを、何度となく見てきたわけだが。
「どうしてもいつも、あんなふうに一方は詰問口調になり、
他方は、萎縮してしまうんだろうか?どうしてそうなってしまうんだろうか?」
と疑問には思っていたのだ。
それが・・最近、少しわかったような気がするので、書くんだけれども。
例によって「あくまでひとつの見方」なので^^;
===
ヒトが語ったり、創作したりするとき、
「語った事実」「創作した作品という事実」、が在ることになるんだが、
その「事実」は、そのヒトの「意図」、つまり、「こう思った」ということに
端を発しているのだ。
簡単に言うと、「事実」は、「意図」が形となって現れたもの。
そして、往々にして、その「意図」は、あまり意識することが
なかったりする。
「ある事実」に対して、「どうしてコレなの?」と訊いたとき、
「いや、だってコレ、こういうふうにするのが当たり前でしょ?」
という答えが返ってくるのがその証左だ!
だから、「どうしてこういうふうに書くんだよ!?」って「意図」に対して
質問しても、「いや、だって、これが当たり前だと思って・・ごにょごにょ・・」
と、ジョウシの「詰問」に対して、萎縮してしまうことになるのだよなぁ・・。
たとえば、ジョウシは、ちょっと意識して、「事実」に対して、「質問」してみたら
どうだろうか?
「どうして、こう書いたんだ!?」と「意図」を問うのではなく、
「ここに、こう書いてあるのは・・・・?なぜなんだろうか?」
と、「事実」に対して問いを発してみる。
そうすることで、「そう書いたヒト」は、「そう書いた自分の意図」を
ものすごく再確認、再点検せざるを得なくなるのだ。
その「点検」の過程で、
「はっ!そうか!自分がこう意図したことは、
じつは、間違いだったのでは!?」
と「気づき」、「とても納得して」 「事実=会議資料として書くこと」を修正することも
できるし、ジョウシの「質問」に対して、「自分の意図」をもって冷静に議論できる
素地ができるのだ。
なのに・・・「その人が、意識することなく 当たり前」だと思っていた「意図」
に対して、「攻撃」してくるもんだから、「え!?」と戸惑うか、
「当たり前のことにごちゃごちゃ言ってんぢゃねぇ!」と逆切するか、
のどちらになるんだよなぁ・・。
「事実」と「意図」。
これ、意識すること、案外、大事だと思うのだが・・・。
思うのだが、これを「元ウチのカイシャのジョウシ」たちに伝える術がないなぁ・・・
ま。
伝えたとしても「きょとん」とされるばかりであろうが^^;



