「7つの習慣」@1日目
2008-06-18 21:28:39
スティーブン・R・コヴィーさんの
「7つの習慣」を読んでみた。
先月、3日間、東京でコノ研修を受けてきたので、
いまさら本を読み直すこともないかなぁ・・・と
思ったが。
いや、再読してみて正解だったねぇ・・。
「7つの習慣」って、研修だけぢゃわからないし、
本を読んだだけでも、わからない。
そして、何よりも、「実行」しないとわからないんだろうけど^^;
実行が・・_| ̄|○
いえね、コヴィーさんの言うこと、わかるのです。とても。
要は、
「木の葉っぱを手入れする前に、その根っこをちゃんと鍛えて
おかなければダメ、ダメ〜〜!」
って言っているわけですなぁ・・。
「うまく行くコミュニケーション術」とか「交渉の技術」とか・・
そういう「応急処置的なもの」は「葉っぱ」にしか作用しないから、
所詮、「一時的な」モノにすぎないのだ。
「根っこ」=「自分の中心」に目を向け、そこに働きかけることによって
「葉っぱも幹も実も、もちろん根っこも」すーべーてーが変わる!
ってことを説いていらっしゃるのだ。
あああ。菩提樹の下で悟りを開かれた仏陀といっしょで、
何事か、を考えた果たした人って、「木」に由来するのかしら・・・。
って、それが言いたいのではなく・・・!
「根っこ」つまり、「自分は自分である」という「主体性」を持つことが
そもそもの始まりであり、「強い主体性を持つことにより、笑ってノーが
いえるようになる」というの・・・「ほんとーだよなぁ・・」と、素直に関心
してしまった。
「笑って、ノーといえる」っての、すごくないですか!?
「ノーと言えない日本人」っていわれるけど、
私の場合、「ノー」っていえるんですよ。でも・・それは・・
「ああ。悪いなあああ!」
「気を悪くさせてかしらああ!?」
「わたしって、なんて、薄情なニンゲンなのおおお((( ;゚Д゚)))」
という その量は多寡はあるけど、「罪悪感」が伴うことは事実。
なぜ、罪悪感か・・
それは、つきとめると、
「人から悪く思われたなくない」っていうのがあるのかもしれないなぁ・・・。
そこで
「たとえ、人から悪く思われたとしても、よし。
わたしが、ノーといって引き起こされたあらゆる結果、
(たとえば、「あの人って、コレ、断ってきたのよ〜。ひどい
でしょ?」というような誹謗中傷)について、引き受ける覚悟は出来ている」
というような凛とした態度が必要なんだろうな。
そのためには、「自分は自分である」という「主体性」を持つ必要があり・・・。
難しいっす。コヴィーさん・・・。
全世界のひとたちが、「主体性」とそれに伴う「責任」を全うするれば
この世から、殺人とか、窃盗とか、その他もろもろの「悪」はなくなると
思うのですが・・
そうならない、どころから、逆の道を突き進んでいるのは・・・
ふっ。
明日も引き続き、コヴィーさんと対話予定。
「7つの習慣」を読んでみた。
先月、3日間、東京でコノ研修を受けてきたので、
いまさら本を読み直すこともないかなぁ・・・と
思ったが。
いや、再読してみて正解だったねぇ・・。
「7つの習慣」って、研修だけぢゃわからないし、
本を読んだだけでも、わからない。
そして、何よりも、「実行」しないとわからないんだろうけど^^;
実行が・・_| ̄|○
いえね、コヴィーさんの言うこと、わかるのです。とても。
要は、
「木の葉っぱを手入れする前に、その根っこをちゃんと鍛えて
おかなければダメ、ダメ〜〜!」
って言っているわけですなぁ・・。
「うまく行くコミュニケーション術」とか「交渉の技術」とか・・
そういう「応急処置的なもの」は「葉っぱ」にしか作用しないから、
所詮、「一時的な」モノにすぎないのだ。
「根っこ」=「自分の中心」に目を向け、そこに働きかけることによって
「葉っぱも幹も実も、もちろん根っこも」すーべーてーが変わる!
ってことを説いていらっしゃるのだ。
あああ。菩提樹の下で悟りを開かれた仏陀といっしょで、
何事か、を考えた果たした人って、「木」に由来するのかしら・・・。
って、それが言いたいのではなく・・・!
「根っこ」つまり、「自分は自分である」という「主体性」を持つことが
そもそもの始まりであり、「強い主体性を持つことにより、笑ってノーが
いえるようになる」というの・・・「ほんとーだよなぁ・・」と、素直に関心
してしまった。
「笑って、ノーといえる」っての、すごくないですか!?
「ノーと言えない日本人」っていわれるけど、
私の場合、「ノー」っていえるんですよ。でも・・それは・・
「ああ。悪いなあああ!」
「気を悪くさせてかしらああ!?」
「わたしって、なんて、薄情なニンゲンなのおおお((( ;゚Д゚)))」
という その量は多寡はあるけど、「罪悪感」が伴うことは事実。
なぜ、罪悪感か・・
それは、つきとめると、
「人から悪く思われたなくない」っていうのがあるのかもしれないなぁ・・・。
そこで
「たとえ、人から悪く思われたとしても、よし。
わたしが、ノーといって引き起こされたあらゆる結果、
(たとえば、「あの人って、コレ、断ってきたのよ〜。ひどい
でしょ?」というような誹謗中傷)について、引き受ける覚悟は出来ている」
というような凛とした態度が必要なんだろうな。
そのためには、「自分は自分である」という「主体性」を持つ必要があり・・・。
難しいっす。コヴィーさん・・・。
全世界のひとたちが、「主体性」とそれに伴う「責任」を全うするれば
この世から、殺人とか、窃盗とか、その他もろもろの「悪」はなくなると
思うのですが・・
そうならない、どころから、逆の道を突き進んでいるのは・・・
ふっ。
明日も引き続き、コヴィーさんと対話予定。




「私的成功」から「公的成功」へ!
コヴィー先生の説は、簡単なようで、難しいです。
モーターサイクルダイアリー
とは映画なのですね!
いま、ウィキしてみました・・。