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京都人 [2006年05月14日(日)]
モロッコの前に

モロッコはいかれる人は少ないでしょうけど(私自身も考えたら前に行ったのはフランスワールドカップの年 ちゅーことは ジャスト8年前 つまりは、これだけしょっちゅう出かけている私でも8年くらいに一度 いくかいかないかのデスティネーションなわけで)

でも、

京都

なら行く方は多いですよね 倒れる前に行ってた京都の話がまだだったので それを先にしちゃいます。

今回京都に行くにあたって読んでいた本がこちら。



京都 西陣の髪結いの長男として生まれた著者が、京都の人だけが知っている内輪話を「よそさん」にも教えてくれた本の第二弾とのことですが わたしは第一弾を知らず、この第二弾からいきなり読むことに。

第一章のイケズの解説からいきなりおもしろいです。イケズとは共通語におきかえられない内容なので筆者の解説を待つことになりますが、いはく「イケズとは<態度>(の表明)である と。それを言語的表明に置きかえるとき独特の<修辞>を乗せたものが「イケズを言う」という行為だ。イケズな言葉というのは存在しない。さらに京都人はそこに言語的<演技>を加えて強弱をつける」

つまり京都語とは<態度><修辞><演技>のバランスで成立している、のだそうです。

それもこれも京都人が思ったことを口にしないではおれない 敬遠ナシのピッチャーみたいな種族だからだそう。

でもあら それなら江戸っ子だって負けてないわ。そこから先が違うのね。江戸っ子はストレート一本勝負なのに対して、京都人は投げるボールがさまざま。カーブやフォークはもちろん消える魔球だのとんでもないボールを投げるらしい。興奮のあまり死球ってことも多いらしい。

その結果がイケズなのだそうだ。なるほど。

そこから始まる京都語の成り立ちの背景解説も説得力アリ。まぁ次回京都にいこうと思い立ったらまずは読んでから行ってみてほしいのだけど

京都に何度か行ってお店の方 食べ物屋の方と会話してると、いわれなくても京都人が結構ビックリするほどキツいこというのに気づきますわな。しかも客を放っておかず、人の話にどんどん介入してきてしまいには話を乗っ取る。これに最初はビックリしましたけど、まぁそこにも、黙っておれない京都人の性格が出てるわけですね。

でも「いらっしゃいませ」ひとつにしても 
下から「おいでやす」「おこしやす」「おこしやしとくれやす」と三段階あるとは知りませんでした。おいでやすではさほどこちらを上と見てないわけね。勉強になるわ。


そして、焼いただけ売り切りパンのボロニヤが、なんでボロニヤという不思議な表記をするんだろうと思っていた謎も解決。ボロニヤだけでなく、ボローニャもあり、グランボロニヤというのもあり、それそれが本家を主張してるんですってねぇ。ビックリだ。


そしてマリーフランスのあんぱんというのもはじめてしりました。京都人はマリーフランスに、よそさんはル・プチ・メックにという棲み分けも超おもしろい。雑誌で京都特集すると、ル・プチ・メックは必ず出てくるものね。ル・プチ・メックは筆者いはく「やたらパリーな造りでオープンカフェもある。だがエスプレッソマシンがあるのにカプチーノはできないという形だけのパリ風。パンもバターをふんだんに使えばいいってもんじゃないという典型的な素人パン」だそうで。

え?パリーならカプチーノじゃなくてカフェオレかカフェクレームでしょ??と、直球でズドンと突っ込みたいとこだけど、それは置いといて、このあたりの、京都人とよそさんの見方の差は、ジモピーとよそさんとでは、盛り上がれる店が違うってことで、どこの観光地でも起こることかも。私が育った横浜でも、よそさんは「へーこんなとこでいいの!?」って店で満足して帰る。それはよそさんが勝手に思う横浜のイメージでわたしらは絶対そんなとこ行きませんて、というようなとこが賑わったりしますもん。だいたい、みなとみらいなんて横浜が魂を東京に売り渡したようなエリアで、ほんまもんの横浜ッ子は近づきませんて。でも「そんなとこいっちゃダメじゃん、ねー」と直球投げるのではなく、「賑わっててよろしおすなー」と軽くかわす京都人風の応対をぜひ身に付けたいものです。

実は筆者によれば京都人が「よろしおしたなー 」というときはほとんど(本音:どうでもいい)と思っているそうです。それを京都人の知り合いに確かめたら「そやなー けどイントネーションでも意味が変わるんやないやろか」といってました。うんと感情こめて「よろしおしたなー」といえばそれは本当によかったですねーと思ってるらしいので、京都人と会話するときには、字面だけでなく、その裏にある感情を読み取ちゅー作業も怠りませぬよう。
                      
                       
                       


そっか。武士カルチャーである江戸っ子は言葉にせんでも意中を汲み取って場を読んで動くことを粋とするものだけど、京都人はすべて言葉にして、言葉にしながらその中に感情を隠してそれが汲み取られないと場の読めないヤツと思うわけだな。少しわかった気がしました。
 

                       
                      


老舗の章も興味深いですよ。老舗は味を守っているかと思いきや、長年のおなじみさんがいればこそ、彼らの嗜好の変化を読んで味を微妙に変えているのだと。「新しいもんがええとか、古いもんがええとか、そんなんありません。今ええもんだけがええんです。ええもんいうのは恒にもっと良くなっていくもんのことです。」by有次のご主人 すばらしい言葉ですね。

「そこそこ」というのも京都の老舗のキーワードだと筆者は続ける。
必要以上に商いを大きくしない=そこそこの商売
奢侈に流れない=そこそこの値段
決して無理をしない=そこそこの利潤
自分の力量を見きわめる=そこそこの品がある
そこそこの店


どんどん書いてしまうとすべてを書いてしまいそうなので、このあたりで。その他、お話は「京おんな」「茶」「骨董」「庭」「観光」「本屋」などと続いていきます。恐らく行きの新幹線の中では読み切れないので、前もっての予習として早めにお読み始めになることをお薦めしまっす。


やっぱり
京都人だけが
知っている

入江敦彦著
洋泉社 ¥667+税

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