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中谷美紀さんのインド旅行記 [2007年11月14日(水)]
断続的に読んでいまして、ただいま2巻目。

この間にわたしのインドも校了終わりました! 20日発売の新潮社「旅」に掲載されます。瞑想のあっと驚く効用がテーマの取材なのでお楽しみに。連載もこの号からだいぶ体裁が変わります。
フェルメール展とミュゼ地下ショッピング [2007年10月16日(火)]
昨日フェルメール展を見に行きました。平日の昼間というのに、かなりの人出。人気のほどがうかがえます。これは週末はえらいことになってるんでしょうね。できれば平日にいらしたほうがよいと思います。

肝心の牛乳を注ぐ女に関してはさまざまな解説や説明がなされているので十分ですけれども、その他の年代別に並べられたオランダ絵画に関しては絶対、+500円で貸し出ししてくれるヘッドホンの解説ナレーションを聞きながらのほうがいいですよ。オランダ絵画って風刺が含まれていることが多いので、なにげなく見逃してしまいがちな細部に、実は画家がいいたいことが含まれているのです。

ナレーション聞きながら「ふーん」「へーえ」「あ、そうなのかー」と納得。絵画ってこういうふうに見るんだ、ってよくわかりました。オランダ絵画をあそこまでみっちり見せられると、オランダ絵画の作風というか特徴というかが素人にも見えてきますね。派手ではありませんが、とてもおもしろい展覧会でした。


帰りに新東京美術館地下のショップを散策(この美術館の地下ショップは非常にセンスのいいセレクトになっているので見逃せません)。小物だけではなく、本のセレクトもいいんですよ。

というわけで、昨日の収穫はこちら。


中原淳一さんの「きもの読本」と「幸せな食卓」、ちょこっと立ち読みしただけで、これはもうニッポン女子必携の著と思い即決です。その下にあるのは武田百合子さんの「ことばの食卓」。「百年の愚行」は20世紀の人類の愚行の跡を写真で残したもの。

ところでなぜ着物かというと、近々、どうやら着物を着なければならなくなりそうなのです。着物というのは実際、七五三で無意識のうちに着せられて以来、袖をとおしたことがなく、いつかおばあさんになったらカッコよく着物を着流したいという野望はあるものの、いまはまだその準備も気持ちも整っていないので、どーする!?って感じなのですが、なぜ着物を着るハメになったのかについてはまた追ってご報告します。うーん、ほんとに着るんだろうか!? ちょっとまだわからないんですけどね。
不思議な本屋さん [2007年09月04日(火)]
不思議というかちっこいというか奥が深いというか・・・青山通りのカッシーナと外苑前駅1A出口の間にある熱風書房。こちらは新風舎という出版社の直営店で、小さな間口から店内に入るとこんな小さなスペースによくここまでぎっしり本を収納した、って感心するくらいたくさんの本がズラリと並んでいます。ほとんどが新風舎の本と自費出版の委託本だそうなのですが。

奥に進むと少し段差をのぼり、小さなイスに腰掛けて写真集を選べるコーナーも。

手前にあるパソコンは「ご自由にお使い下さい」備品。


そしてちょうどその段差の下のデッドスペースにあたるのですが、今度は靴をぬいで絨毯敷のスペースに座り込んでポストカードブックを選べる秘密基地みたいな場所もあり。

そんなこんなで本日の買い物第三弾はこちらにての買い物。


いまさらですが、最近の目標は「いい大人の日本人なんだから、もっと日本人精度を高めておかないとマズい」! というわけで名著をわかりやすい日本語現代訳にしてある、岡倉天心「茶の本」を改めて。そして下の2冊は文庫本サイズで1枚1枚がポストカードとして切り離して使えるポストカードブック。

さらに


こんなポストカード本も見つけました。こいつはパン田パン造というおやじぱんだで、浅草とか南の島とかラーメンやとかいろんなところに出没してるんです。自らがピクニック用のおにぎりになっちゃってる巻もあります。おやじなのでビールと一緒率も高いです。パン田パン造商店のHPもあったりフリマで販売もされてるらしいです。

夏の終わりの夕刻、パン田パン造でかなり脱力させてもらいました。


おっと忘れるところだった。

熱風書店データ
港区南青山2−22−17 川上ビル1F
03−5775−5041 11:00−20:00 年中無休
「ここ7年くらいの女のヒトを描いたマンガ」続報 [2007年03月03日(土)]
ええっと下のひといきコーナーには近日公開で生湯葉おろし蕎麦の写真が入る予定です。
しばらくお待ち下さい・・ってあんまり期待してる人もいないと思いますけど、私としてはお食事日記のつもりで書いたのであります。これからもできるだけお食事ワンショットを入れようと思ったので。3月はなるべく毎日の「なるまい」運動とともに、なるべくお食事日記も入れる「なるメシ」運動を展開することにきゅうきょ決まりました。私が決めたのです。なのでそういう意味を込めてご期待ください。

で、しりあがりさんとの本の続報ですが、なんと、もうあとは表紙まわりbyしりあがり寿と、あとがきを残すのみとなりました! パチパチパチ

書評というか第三者からの後書きというか、この本のよみどころ案内というか、は、あの酒井順子さんがかいてくださいました。チヂミ同様に元・代理店勤務という仲間として。

しかしですねぇ、恐らく編集担当の人が資料としていままでのマンガをお送りして、それにさっと目を通してあっというまに書いてくださったと思われるわけなんですけれども、さすがは週刊文春で読書日記を書いてらっしゃる+観察鋭いエッセイが得意な酒井さんで、ものすごく的を射た視点からの文章を寄せてくださいました。マンガの裏にあるしりあがりさんの視点をもののみごとに解説してくださっています。なーるほど、そういうことだったのかぁと7年も連載していて初めて納得するわたし。酒井さんありがとうございました!

というわけで長い作業もあとがきを残すのみです。この本のみどころは、もちろん7年に渡る連載マンガのどたばたから読みとれる私たち女子のてんやわんや騒動記なのですが、わたくしが肩と首がまわらなくなるほど集中して作った2001年から2006年までの各年の時事年表+ヒットパレード+女子年表+チヂミのひとりごと、も、どうぞ読み込んでやってください。

おでかけのあとがきに書いたのですが、私は取材現場というものが大好きなんですが、それとともに大好きなのがこの「クロニクル」編集作業なんですね。なんか年代ごとの時勢とかはやりごととかを整理してまとめるのが好きなのです。

そうこうするうちもう「今日」になってしまいましたが、ひなまつりですね。桃の節句。女子の日でございます。
沈まぬ太陽 [2007年02月22日(木)]
泥の効果ですが昨晩は、泥パック→洗い流して沈静の漢方シートマスク→保湿→泥→シート→保湿→泥→シート→保湿、と3クールほど繰り返して寝ましたが、そしたらかなーり引きました。それだけでなく最後におなかから下だけあっためるという腰湯して足腰(つまり内蔵系)ホカホカにして寝たのですが、これが入るのと入らないのとでは翌朝の状態が全く違う・・ということはやはり胃腸に関係した吹き出物なんだと思うんですが、まぁ泥との相乗効果で最悪の状態は脱したようです。

で、昨晩はお風呂に入りながらついに「沈まぬ太陽」5巻目を読み終え読了! 

なんといいますか。悪の上には悪がいるというか、民間の悪は役人にはかなわず、その役人も政治家にはかなわず、政治家も首相周辺にはかなわず、首相周辺もキングメーカーの裏のドンにはかなわず。そんなところにぐるぐる巻にされてる「国民航空」は、1人2人の清廉潔白な人が改革しようとしてもどうにもならない、という構図が鮮明に浮かび上がる全編でした。

1,2巻がアフリカ編 3巻が御巣鷹山編 4,5が会長室編、と大きく3つに分かれていますが、やはり圧巻は3巻目。先日もこの墜落した飛行機のボイスレコーダに関する番組が再放送になりましたが、いつまでたっても忘れてはならない事故で、山崎豊子さんもあとがきにこの事故を風化してはならないと記しています。

5巻通して描かれているのは1人の国民航空の社員、10年間も僻地をたらいまわしにされ、中枢から遠ざけられた主人公の境遇なんですが、それを単に追うだけでなく、政界との癒着、ありえない子会社の乱脈経営、目先のきく連中がどのようにキックバックで甘い汁を吸っているか、広報担当がどう政治家を取りこんでいるか、など、まさにありとあらゆる方面からの取材に基づいた、国民航空であるがゆえのどうしようもなさがまざまざと描かれ、そこに、事故につながる温床、あるいはあれほどの事故を起こしておきながらなお変わらない、変われない姿、変われない理由までを赤裸々かつ淡々と描き切っています。

以前、プラダ悪魔の著者のところで、ドラマや映画になりやすい描写が上手なのかもね、と書いたと思うのですが、この「沈まぬ太陽」は内包している問題があまりにも根深く、多岐に渡り、しかも恐ろしく現場主義であるため、ドラマ化や映画化はほぼ不可能に思えます。筆がすさまじい力を持っているために、ひとつひとつのシーンはまざまざと脳裏に浮かぶのですが、テレビやフィルムのほうが追いつかない世界といいましょうか。誰がどう演じても、どんな凄腕プロデューサーがどこまでリアルに再現しようとしても、原作の力とすごみを越えることはできない。そんな作品です。こういう作品に出合うと読書ってすばらしい、本ってすばらしいツールだな、と思うのでした。

華麗なる一族で山崎豊子作品に触れたかた、あるいはまだ山崎豊子作品を何も読んでいないかた、どちらにもお薦めしたい力作です。

沈まぬ太陽のいわれは最後の最後にでてきます。そしてなぜ最初の出だしがアフリカなのかということも。最後まで読み切ると、山崎豊子さんの全体のストーリーの構成がようやく見えて、なんとものすごい組み立てをするんだろう!と、しばし呆然としてしまいました。


*「沈まぬ太陽」
新潮文庫より1〜5巻
パーティプランナー プラダを着た悪魔の作者の第二作 [2007年02月14日(水)]
名著とは思わないけど、いまこの21世紀初頭リアルタイムでないと成立しない舞台設定の小説と思えるので名著案内コーナーに入れておきますが、「プラダを着た悪魔」で一躍世界的ベストセラー作家となった、ローレン・ワイズバーガーの二作目を読みました。

英語タイトルはEveryone Worth Knowing  と添えてありますが、なんのこっちゃー。で放題は「パーティプランナー 一流セレブの集めかた」こっちのほうが中味がよくわかるね。はっきり言って私はタイトル買いしました。この放題にした人。えらい。

さて、中味は銀行の事務員としてファッションやセレブとは無縁の生活を送っていた主人公が、上司にキレてはずみで会社をやめたところから始まります。彼氏もいないし会社やめてもやることないんだけど、(うまいことに=そこが小説の小説たるゆえん)コラムニストをやってるおじさんのつてでパーティを企画するPR会社に雇ってもらえることに。

ファッションのファの字も(なんとエルメスのバーキンも)知らず、セレブのセの字も知らないマジメ一徹のさえない女の子が、いきなりめまぐるしい業界に放り込まれて右往左往。だが、そんな彼女にみんなの憧れのイケメンがちょっかいを出してくるってところはプラダとそっくり。

あんまり話すとネタバレし放題だからこのくらいにしますが、そのほか、BFの職業とか、終わり方とかも似てるのね。似すぎといえる。ですので、この人、次の第三作が勝負じゃないかと。次の作品で違うストーリー展開を生み出してもらえないと永遠のワンパターン作家になってしまいそう。

ただ、NYのPR会社っていったら、そりゃ世界でいちばんめまぐるしいし、とんがってなきゃならない。そういう世界をかいまみるにはいいかもね、な内容です。有名人の名前もバンバン出てくるし。最後にはなんと有名人連れてプライベートジェットでトルコに行くなんて話にまでなる。セレブが荷物持ってきすぎてジェットに積みきれないんですよ。セレブはLAから来る人もいて無事到着するかどうかヒヤヒヤ。なかなか自分ができる経験じゃない。あ、それは全作のV編集長のアシスタントも同じですね。でも仕事的にはこっちのほうが建設的なの。プラダはほとんど編集長の雑用係だったけど、こっちではちゃんと自分で企画もするし、会場で主体的に動き回るし引率もする。そういう意味では進歩してるので、読んでて仕事した感がある。もちろん自分が働いたわけじゃありませんけどね。

私の知り合いにもPR会社経営してる人が多いですが、大変な業界ですよ。パーティをプランニングして招待客を決めてお約束とりつけて必ず来てもらってスポンサーに紹介して、最終的にそのパーティを開く理由である商品について身につけてもらったり書いてもらったり発言してもらったりしてスポンサーに満足してもらって・・・

めまぐるしく1日中携帯で連絡とりあってるのが苦にならなくて、企画立てて人を驚かしたり楽しませたりするのが好きで、常に最新の店や商品の情報をつかんでいたくて、ワガママセレブを操縦してみたいなんて思ったら、こういうお仕事に向いてるかも。その場合には、ほぼ主人公と一緒に疑似体験で仕事してる気になってくるから、この仕事の進め方やコネ作りのための立ち回り方など参考になるかもしれません。

私はのんびりしたタイで読んじゃったからなんだか疲れてしまいまいしたがね。NYとか上海とか動き回ってる勢いのある場所で読むともっと臨場感あるのかもですね。

でも疑似体験できるってことは、いちいちパーティだの飛行機内だのオフィスだのの映像がものすごく目に浮かぶってことなので、これも映画にはよさそう。この人ってドラマや映画向きのテーマ選びと臨場感ある表現が得意なのかもですよね。

「パーティプランナー」
早川書房 ¥2000+税
沈まぬ太陽・カラチ→テヘラン→そしてついにアフリカへ [2007年02月13日(火)]
華麗なる一族が終わったので現在原稿書きのあいま(主にお風呂タイム)に沈まぬ太陽を読み進めております。そういえばホリエモンが塀の向こうで読んで感動したといっていましたね。いま、次の本のしりあがりさんとのコラボであるマンガ本につける、2001〜2006年のできごと年表を作ってるもので、ここ7年の事件や登場人物などを調べてまとめておりまして、もちろんホリエモンも出てくるわけで。それにしてもほんの6年余りだけど、2001年からここ直近までにはホントにいろんなことがありましたよね。とくに2001年9月の同時多発テロで、ものすごく世の中が変わってしまった気がする。それと01年から06年ってほぼ小泉首相時代といってよいんですね。そんなことにも気づきました。

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が、そんな話を始めると脱線が長くなってしまうので、話は沈まぬ太陽に戻りますけれども、いままで映画化もドラマ化もできていない、この超大作を、フジテレビが開局50周年を迎える08年に連ドラ化したいと考えている・・・らしいとの情報がネット上にありました。

私はまだアフリカ編の1巻めが終わったところという入り口にいるのですが、今後、読むのをためらわれる場面もあるらしい。そのような場面を果たして描くことがドラマにできるのか?またすでにいま読んでいるアフリカ編でも、雄ライオンを待ち続けて撃つ場面があるんですが、そんな場面をちゃんとロケ撮影できるのか? いや、いまはCGというお助けツールがあるからできるのかしら。

華麗なる一族も10回で終わらせるためにものすごい筋をすっとばしてますけど、それより文章量の多い沈まぬ太陽(文庫で5巻)をどう連ドラにするのか、脚本家の力量にかかりますので興味ありますけど。
(華麗なる〜も自分だったらどう描くかなーなんて想像しながら見ると別の角度で楽しいです。私ならやっぱり一族揃った食事場面からスタートだな。そして富裕階級ならではのエグい会話で始めたいものです。もっとお衣装にも気を遣って。プロデューサーにお願いしてエルメス様とミキモト様の全面バックアップをもらいたいですわ)
華麗なる一族の裏側 [2007年02月08日(木)]
日曜ドラマ、細部をはしょってかなり巻きで進行中ですが、私もチェンマイのトリートメントのあいまに巻で上中下読み終わりました。

ドラマにはそこまでねちっこい描写が出てこないんですが、山崎豊子さんが書きあらわしているこの一族、ものすごい一族なんですよ。1970年代という時代なのに、

「マドモアゼル コマン トゥルヴェ ヴ ラ スープ ドジュルデュイ(いかがです。今日のスープの味は)?」

「セ エクセラン ムッシュ サ ム フェ ラプレ パリ(美味しいです、ムッシュ、パリを思わせるお味ですわ)、まあ、いやだわ・・、お父さま、今は日本のお正月ですのよ」

末席に座っている末娘の三子が、淡いピンクのカクテルドレスの棟を若々しくふくらませ、関西なまりの標準語で甘ったれるように云った。万俵家では、一族が揃った晩餐の席では、今夜はフランス語、明晩は英語の会話でというのが、一種の習慣のようになっていた。

・・・・・わけですから。お父さまおやめになって、フランス語でスープの味を聞いたりなさっちゃイケズすぎますーってかんじ。

華族から万俵家に嫁いできたお母様は藍大島のお着物にゲランの香水ざますの。そして温室で「皇太子様ご夫妻がハワイへご訪問になった時 美智子妃殿下がお好み遊ばしたというのにちなんでクラウン プリンセスミチコと名付けられた」カトレアを育てているんですの。

それでもって愛人の相子さん愛用の香りはジャンパトゥのJOYなんです。さすがです。ゲラン家というフランスの華麗なる一族の持ち物であった(現在はLVMH)ゲランの香りに、最も高級といわれていた甘く妖艶な香りJOY。本妻も愛人ともにこうして身につける香りでも暗黙のうちに戦っているわけです。

アクセサリーはさすがにコンサバにパールのご様子で娘たちは

「それよりお父さま、今度のお年玉は南洋真珠を買って下さいな。ロビーのショーウィンドーですばらしい珠を見つけましたのよ」
「私は指輪、店員さんにもう押さえてもらっているから。お父さま、お覚悟のほどを」

なんちゃって、パパ会計でちゃっかり南洋真珠(ブラックなのかバロックなのか?)を手に入れるお嬢たち。服に関してはあまり描写はありませんがバッグはやはりエルメスらしい。趣味がよろしおます。

TVのストーリーは先回の段階で激しくはしょるあまり原作の込み入った政治家と銀行家と大蔵省とのかけひきのあやが見えなくなってしまっています。原作を読むだけでドラマをはるかに越える超大作映画級の画像が目に浮かびますので、原作をお読みになることをお薦めします。ドラマはキムタクの鉄平さんが主役扱いですが、原作は大介という父親を中心とした銀行の生き残りをかけた死闘と、日本のアンシャンレジームともいうべき昭和のお金持ち一家が近代化の波に押し流され彼らもまた新しい時代にめざめて自分なりの家を離れた生き方を模索する・・・という旧家の変わり目を描いているように思いますね。

つまりそのぶん壮大なスケールなわけで。隠れた主役は70年代という時代そのもの。そして悪いヤツほどよく眠る。悪の上には上がいるという事実を気が遠くなる取材を積み上げてパズルのように全体像を見せてくれる構成になっています。

70年代の話だけどついこの間行われた銀行再編時にも同じような取引や駆け引きが各銀行間でおこなわれたのだろうなぁと。ビックリするような禅問答のうちに政治家との間で手打ちが行われていくのです。さっしが悪いと悪人もつとまりませんね。

ただいま上中下巻とも文庫ベストセラー10位以内にランキング中。私は長年の課題だった「沈まぬ太陽」に進むことにして5巻買いそろえて参りました。でもチェンマイでは「プラダを着た悪魔」の作者の第二作も読んできましたので次回はその話を。

*華麗なる一族は新潮文庫で上中下
文庫の初版は昭和55(1980)年
先日買ったものは、平成18年12月5日発行の46刷版でした
YouTube革命 [2007年01月25日(木)]
最近、グーグル社会になって「まず検索ありき」となったことによって世界観が変わる・・・系のTVが増えてますが、それにともなって、URLはさほど重要でなく、重要なのは検索ワードだというような話も。まぁそれはもっともなことで、こむずかしい呪文のようなURLをいちいち英字キーにして狭いスペースに打たなくても(その結果、タイプミスで、そんなページは存在しませんってパソに叱られなくても)感心のあるワード、調べたいワードを入れ込むことで必要なページが羅列される関連ワード検索のほうが、なんぼかラクですし、調べたいことだけでなく、その周辺の話題までさらえるのでさらにオトクというのは誰でも経験のあることでしょう。

先日も「華麗なる一族」で調べたら、以前の74年版ドラマのキャストや映画版のキャストまで出てきて「おーやっぱ鉄平はキムタクより加山雄三いやー田宮二郎もいいねぇ」なんて話題が広がります。まだ結末まで知らない人のために詳しくは言えないけど、故・田宮二郎氏があの鉄平役をした演じたがっていたのはとっても意味深。最終回まであるいは下巻最まで進むとわけがわかります。(実際、映画版での鉄平は仲代達也。田宮二郎が演じたのは長女の婿、美馬役でした)

それはともかく、ネットに限らず人は便利で使いやすいほうに流れるわけで、ユーザー本位でなければ物事は支持されないという結果がわかりやすく起こっているということだと思います。

ユーザー本位から出発してものすごいことになっているのがYouTube。私より先にみなさんのほうがうまく利用してると思いますが、これはほんとにすごいことですよね。検索をうまく使えば、マニアックな捜し物ほど楽しくてあっというまに時間が過ぎ去ってしまう。1本最長で10分ですが6本見れば1時間。自分が興味あることであれば6本立てなんてあっというまです。

だからますますテレビと人との関係はかわっていくだろうという。このYouTubeが巻き起こして行くであろう意識革命についてわかりやすくまとめられているのが、その名も「YouTube革命」という新書です。

グーグル革命程度で驚いていてはいけない。第一そのグーグルが「えらいことになった」とこの会社を買うまでになったのですから、まさにネットの歴史の中でYouTube以前と以後では完全に常識が変わるといったほうがいいと思う。

日本も2011年から地デジ対応となりチャンネル乱立時代を迎えますがそのころまでにはテレビと私たちの関係はもっと違ったものになっていくのではないでしょうかね。

まだYouTubeといってもピンと来ない方はともかくこの本は読んで、いまどんな革命的なことが起こりつつあるかという現実を頭のすみっこにでも入れておいたほうがよいように思います。

*YouTube革命
テレビ業界を震撼させる「動画共有」ビジネスのゆくえ
神田敏晶著 ソフトバンク新書
¥700+税

カバーの後ろのコピーより

テレビCMビジネスモデルが崩壊の予兆を見せ始めているといわ
れる。ユーチューブ上で映像が「検索」され、口コミ感覚で「共有」
される時代には広告マーケティングにも、従来とはまったく異なる
ユーザー重視のアプローチが必要だ。今まさに起こりつつあるこの
革命で誰が笑い、誰が泣くことになるか?
「Web2.0でビジネスが変わる」著者がメディアのパラダイム
シフトを読み解く!


この説明は難しいけど本の中味はとてもわかりやすく、私のようなメカ音痴でもアナログスローな人でも「なるほどそんな大変なことになっているのかー」と状況が飲み込めました。

大変だからさあどうしよう、ってことではなく、インターネットが出始めたとき「これは大変だ」と思ったときと同じ感覚。そういう世の中になっていくんだろうなぁという近未来のビジョンが描けるというんですか、そうなったときにあわてずにすむための予備知識的にお読みになると参考になると思います。
京都人 [2006年05月14日(日)]
モロッコの前に

モロッコはいかれる人は少ないでしょうけど(私自身も考えたら前に行ったのはフランスワールドカップの年 ちゅーことは ジャスト8年前 つまりは、これだけしょっちゅう出かけている私でも8年くらいに一度 いくかいかないかのデスティネーションなわけで)

でも、

京都

なら行く方は多いですよね 倒れる前に行ってた京都の話がまだだったので それを先にしちゃいます。

今回京都に行くにあたって読んでいた本がこちら。



京都 西陣の髪結いの長男として生まれた著者が、京都の人だけが知っている内輪話を「よそさん」にも教えてくれた本の第二弾とのことですが わたしは第一弾を知らず、この第二弾からいきなり読むことに。

第一章のイケズの解説からいきなりおもしろいです。イケズとは共通語におきかえられない内容なので筆者の解説を待つことになりますが、いはく「イケズとは<態度>(の表明)である と。それを言語的表明に置きかえるとき独特の<修辞>を乗せたものが「イケズを言う」という行為だ。イケズな言葉というのは存在しない。さらに京都人はそこに言語的<演技>を加えて強弱をつける」

つまり京都語とは<態度><修辞><演技>のバランスで成立している、のだそうです。

それもこれも京都人が思ったことを口にしないではおれない 敬遠ナシのピッチャーみたいな種族だからだそう。

でもあら それなら江戸っ子だって負けてないわ。そこから先が違うのね。江戸っ子はストレート一本勝負なのに対して、京都人は投げるボールがさまざま。カーブやフォークはもちろん消える魔球だのとんでもないボールを投げるらしい。興奮のあまり死球ってことも多いらしい。

その結果がイケズなのだそうだ。なるほど。

そこから始まる京都語の成り立ちの背景解説も説得力アリ。まぁ次回京都にいこうと思い立ったらまずは読んでから行ってみてほしいのだけど

京都に何度か行ってお店の方 食べ物屋の方と会話してると、いわれなくても京都人が結構ビックリするほどキツいこというのに気づきますわな。しかも客を放っておかず、人の話にどんどん介入してきてしまいには話を乗っ取る。これに最初はビックリしましたけど、まぁそこにも、黙っておれない京都人の性格が出てるわけですね。

でも「いらっしゃいませ」ひとつにしても 
下から「おいでやす」「おこしやす」「おこしやしとくれやす」と三段階あるとは知りませんでした。おいでやすではさほどこちらを上と見てないわけね。勉強になるわ。


そして、焼いただけ売り切りパンのボロニヤが、なんでボロニヤという不思議な表記をするんだろうと思っていた謎も解決。ボロニヤだけでなく、ボローニャもあり、グランボロニヤというのもあり、それそれが本家を主張してるんですってねぇ。ビックリだ。


そしてマリーフランスのあんぱんというのもはじめてしりました。京都人はマリーフランスに、よそさんはル・プチ・メックにという棲み分けも超おもしろい。雑誌で京都特集すると、ル・プチ・メックは必ず出てくるものね。ル・プチ・メックは筆者いはく「やたらパリーな造りでオープンカフェもある。だがエスプレッソマシンがあるのにカプチーノはできないという形だけのパリ風。パンもバターをふんだんに使えばいいってもんじゃないという典型的な素人パン」だそうで。

え?パリーならカプチーノじゃなくてカフェオレかカフェクレームでしょ??と、直球でズドンと突っ込みたいとこだけど、それは置いといて、このあたりの、京都人とよそさんの見方の差は、ジモピーとよそさんとでは、盛り上がれる店が違うってことで、どこの観光地でも起こることかも。私が育った横浜でも、よそさんは「へーこんなとこでいいの!?」って店で満足して帰る。それはよそさんが勝手に思う横浜のイメージでわたしらは絶対そんなとこ行きませんて、というようなとこが賑わったりしますもん。だいたい、みなとみらいなんて横浜が魂を東京に売り渡したようなエリアで、ほんまもんの横浜ッ子は近づきませんて。でも「そんなとこいっちゃダメじゃん、ねー」と直球投げるのではなく、「賑わっててよろしおすなー」と軽くかわす京都人風の応対をぜひ身に付けたいものです。

実は筆者によれば京都人が「よろしおしたなー 」というときはほとんど(本音:どうでもいい)と思っているそうです。それを京都人の知り合いに確かめたら「そやなー けどイントネーションでも意味が変わるんやないやろか」といってました。うんと感情こめて「よろしおしたなー」といえばそれは本当によかったですねーと思ってるらしいので、京都人と会話するときには、字面だけでなく、その裏にある感情を読み取ちゅー作業も怠りませぬよう。
                      
                       
                       


そっか。武士カルチャーである江戸っ子は言葉にせんでも意中を汲み取って場を読んで動くことを粋とするものだけど、京都人はすべて言葉にして、言葉にしながらその中に感情を隠してそれが汲み取られないと場の読めないヤツと思うわけだな。少しわかった気がしました。
 

                       
                      


老舗の章も興味深いですよ。老舗は味を守っているかと思いきや、長年のおなじみさんがいればこそ、彼らの嗜好の変化を読んで味を微妙に変えているのだと。「新しいもんがええとか、古いもんがええとか、そんなんありません。今ええもんだけがええんです。ええもんいうのは恒にもっと良くなっていくもんのことです。」by有次のご主人 すばらしい言葉ですね。

「そこそこ」というのも京都の老舗のキーワードだと筆者は続ける。
必要以上に商いを大きくしない=そこそこの商売
奢侈に流れない=そこそこの値段
決して無理をしない=そこそこの利潤
自分の力量を見きわめる=そこそこの品がある
そこそこの店


どんどん書いてしまうとすべてを書いてしまいそうなので、このあたりで。その他、お話は「京おんな」「茶」「骨董」「庭」「観光」「本屋」などと続いていきます。恐らく行きの新幹線の中では読み切れないので、前もっての予習として早めにお読み始めになることをお薦めしまっす。


やっぱり
京都人だけが
知っている

入江敦彦著
洋泉社 ¥667+税
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