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泥の効果ですが昨晩は、泥パック→洗い流して沈静の漢方シートマスク→保湿→泥→シート→保湿→泥→シート→保湿、と3クールほど繰り返して寝ましたが、そしたらかなーり引きました。それだけでなく最後におなかから下だけあっためるという腰湯して足腰(つまり内蔵系)ホカホカにして寝たのですが、これが入るのと入らないのとでは翌朝の状態が全く違う・・ということはやはり胃腸に関係した吹き出物なんだと思うんですが、まぁ泥との相乗効果で最悪の状態は脱したようです。
で、昨晩はお風呂に入りながらついに「沈まぬ太陽」5巻目を読み終え読了!
なんといいますか。悪の上には悪がいるというか、民間の悪は役人にはかなわず、その役人も政治家にはかなわず、政治家も首相周辺にはかなわず、首相周辺もキングメーカーの裏のドンにはかなわず。そんなところにぐるぐる巻にされてる「国民航空」は、1人2人の清廉潔白な人が改革しようとしてもどうにもならない、という構図が鮮明に浮かび上がる全編でした。
1,2巻がアフリカ編 3巻が御巣鷹山編 4,5が会長室編、と大きく3つに分かれていますが、やはり圧巻は3巻目。先日もこの墜落した飛行機のボイスレコーダに関する番組が再放送になりましたが、いつまでたっても忘れてはならない事故で、山崎豊子さんもあとがきにこの事故を風化してはならないと記しています。
5巻通して描かれているのは1人の国民航空の社員、10年間も僻地をたらいまわしにされ、中枢から遠ざけられた主人公の境遇なんですが、それを単に追うだけでなく、政界との癒着、ありえない子会社の乱脈経営、目先のきく連中がどのようにキックバックで甘い汁を吸っているか、広報担当がどう政治家を取りこんでいるか、など、まさにありとあらゆる方面からの取材に基づいた、国民航空であるがゆえのどうしようもなさがまざまざと描かれ、そこに、事故につながる温床、あるいはあれほどの事故を起こしておきながらなお変わらない、変われない姿、変われない理由までを赤裸々かつ淡々と描き切っています。
以前、プラダ悪魔の著者のところで、ドラマや映画になりやすい描写が上手なのかもね、と書いたと思うのですが、この「沈まぬ太陽」は内包している問題があまりにも根深く、多岐に渡り、しかも恐ろしく現場主義であるため、ドラマ化や映画化はほぼ不可能に思えます。筆がすさまじい力を持っているために、ひとつひとつのシーンはまざまざと脳裏に浮かぶのですが、テレビやフィルムのほうが追いつかない世界といいましょうか。誰がどう演じても、どんな凄腕プロデューサーがどこまでリアルに再現しようとしても、原作の力とすごみを越えることはできない。そんな作品です。こういう作品に出合うと読書ってすばらしい、本ってすばらしいツールだな、と思うのでした。
華麗なる一族で山崎豊子作品に触れたかた、あるいはまだ山崎豊子作品を何も読んでいないかた、どちらにもお薦めしたい力作です。
沈まぬ太陽のいわれは最後の最後にでてきます。そしてなぜ最初の出だしがアフリカなのかということも。最後まで読み切ると、山崎豊子さんの全体のストーリーの構成がようやく見えて、なんとものすごい組み立てをするんだろう!と、しばし呆然としてしまいました。
*「沈まぬ太陽」
新潮文庫より1〜5巻
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