幽明異境@
2007-10-12 00:00:24
皆様、先日の記事に温かいコメントありがとうございます

記憶が薄れてしまわないうちに、10/5〜10までの日々の事を徐々に
upしていこうと思います。
【10月5日@】
この日は中番出勤。
ユイチに「明日仕事offだけど、パパ上のお見舞いに行くのは今夜と
明朝どっちが良い?」とメールしたら「今夜のが良さそう」とのレス。
ここで、おそらく数日店を空けることになりそうだな〜と思ったので、
業務最優先に店廻しをすることに。
チーフでなければ作成できない提出物作成の為、昼伊勢を長く取り
タリーズで軽食をとりながら進める
疲労対策に甘モノを摂りたくて
アイスラテにティラミスアイスを落とした、店限定メニューをチョイス。

なんとか作成を終え、それを店に戻ってFaxし、さらに店パソでしか
できない入力業務を進め、ある程度の目処がたったので、帰宅
少し残業しちゃったけど、間違いなく今日中には着けるなって時間。
でも、、、ユイチjikkaへ向かう途中、乗換駅でなかなか電車が来ず
(本数自体少ないから仕方ないけど)30分ほど足止めを食らう
そして、やっと来た電車に揺られてうとうとしていたら、ユイチから
「悪いけど駅からタクシーで家に向かってくれ」とメールが届いた。 その時、嫌な予感はしたけれど、、、
ユイチjikkaの最寄駅まであと一駅!というところで再度メールが
届き、パパ上の訃報を告げられた。
…あぁ、間に合わなかったなぁ。
残業さえしなければきっと間に合ったのに、という悔しい気持ちと、
もし間に合って「死に目」に遭っていたらトラウマになってたかもな、
とどことなくホッとした気持ちが、タクシーの後部座席でぼんやりと
入り交じる(ぷち子は未だ、ひとの「死に目」に遭ったことがない)。
そして、jikkaへ到着。
パパ上は、リビングの隣のいつもの和室で、いつもの介護ベッドの
上で、これまたいつもと変わらない顔で、安らかに眠っていた。
ママ上に「ぷちちゃん、おとうさん死んじゃった…」と言われたとき
そっか、もう苦しまなくていいんだねとパパ上に話しかけ、その顔を
まじまじと見て、本当に亡くなったんだと実感して、涙が出た。
ユイチも、ママ上も、妹ちゃんも、すぐ近くに住む親戚のおじおばも
ベッドを囲み、みんなすすり泣いていた。
いのちあるものに、必ずやってくる「死」。
ガンが見つかった昨夏の時点で《余命1ヵ月半》と診断され、本人も
周囲もどこかで覚悟ができていたはずだけど、やっぱり悲しくって、
そしてショックだった。
「直る見込みのない」抗ガン剤投与から「安らかな死を迎える」為の
緩和医療へシフト、普通なら気が狂ってもおかしくない状態なのに
(実際、余命告知を受けたショックで鬱病になる患者は多いらしい)
パパ上は常にユーモアと人への気遣いを忘れず、気丈な人だった。
そしてたったひとつ「入院したくない、家で死にたい」という思いを
最後まで貫き通した、頑固な人でもあった。
(自宅で最期を迎えられる人は、現在ではほんの1割程度だそう)
その思いを叶える為、妹ちゃんは仕事を辞め、ユイチはjikkaへ戻り
ママ上と共に献身的な介護をした。
家族にとって、予想以上に精神的・身体的負担は大きかった。
でも「助けられず残念だけど、やることはやったから後悔はない」と
彼らが清々しい気持ちになれたのは、この介護の日々があったから
こそだと思う。
そして、パパ上は驚異的な生命力で、ガンの発見から《1年3ヶ月》と
余命宣告を大幅にクリアして、この世を去った。
ぷち子にとっては、わずか4年間の「父親」だった。
病気発見前は一度温泉旅行に付き合った程度で、家族付き合いを
あまり親密にしていなかった(ウチの夫婦は共働きで休みも違う為
盆と正月に顔を出す程度だった)ので、パパ上との思い出の大半は
ガンに侵されてからのものだけど、、、
それでも、パパ上は常に笑顔のイメージだ。
それって、結構すごい事だと思う。
合掌。


記憶が薄れてしまわないうちに、10/5〜10までの日々の事を徐々に
upしていこうと思います。
【10月5日@】
この日は中番出勤。
ユイチに「明日仕事offだけど、パパ上のお見舞いに行くのは今夜と
明朝どっちが良い?」とメールしたら「今夜のが良さそう」とのレス。
ここで、おそらく数日店を空けることになりそうだな〜と思ったので、
業務最優先に店廻しをすることに。
チーフでなければ作成できない提出物作成の為、昼伊勢を長く取り
タリーズで軽食をとりながら進める
疲労対策に甘モノを摂りたくてアイスラテにティラミスアイスを落とした、店限定メニューをチョイス。

なんとか作成を終え、それを店に戻ってFaxし、さらに店パソでしか
できない入力業務を進め、ある程度の目処がたったので、帰宅

少し残業しちゃったけど、間違いなく今日中には着けるなって時間。
でも、、、ユイチjikkaへ向かう途中、乗換駅でなかなか電車が来ず
(本数自体少ないから仕方ないけど)30分ほど足止めを食らう

そして、やっと来た電車に揺られてうとうとしていたら、ユイチから
「悪いけど駅からタクシーで家に向かってくれ」とメールが届いた。 その時、嫌な予感はしたけれど、、、
ユイチjikkaの最寄駅まであと一駅!というところで再度メールが
届き、パパ上の訃報を告げられた。
…あぁ、間に合わなかったなぁ。
残業さえしなければきっと間に合ったのに、という悔しい気持ちと、
もし間に合って「死に目」に遭っていたらトラウマになってたかもな、
とどことなくホッとした気持ちが、タクシーの後部座席でぼんやりと
入り交じる(ぷち子は未だ、ひとの「死に目」に遭ったことがない)。
そして、jikkaへ到着。
パパ上は、リビングの隣のいつもの和室で、いつもの介護ベッドの
上で、これまたいつもと変わらない顔で、安らかに眠っていた。
ママ上に「ぷちちゃん、おとうさん死んじゃった…」と言われたとき
そっか、もう苦しまなくていいんだねとパパ上に話しかけ、その顔を
まじまじと見て、本当に亡くなったんだと実感して、涙が出た。
ユイチも、ママ上も、妹ちゃんも、すぐ近くに住む親戚のおじおばも
ベッドを囲み、みんなすすり泣いていた。
いのちあるものに、必ずやってくる「死」。
ガンが見つかった昨夏の時点で《余命1ヵ月半》と診断され、本人も
周囲もどこかで覚悟ができていたはずだけど、やっぱり悲しくって、
そしてショックだった。
「直る見込みのない」抗ガン剤投与から「安らかな死を迎える」為の
緩和医療へシフト、普通なら気が狂ってもおかしくない状態なのに
(実際、余命告知を受けたショックで鬱病になる患者は多いらしい)
パパ上は常にユーモアと人への気遣いを忘れず、気丈な人だった。
そしてたったひとつ「入院したくない、家で死にたい」という思いを
最後まで貫き通した、頑固な人でもあった。
(自宅で最期を迎えられる人は、現在ではほんの1割程度だそう)
その思いを叶える為、妹ちゃんは仕事を辞め、ユイチはjikkaへ戻り
ママ上と共に献身的な介護をした。
家族にとって、予想以上に精神的・身体的負担は大きかった。
でも「助けられず残念だけど、やることはやったから後悔はない」と
彼らが清々しい気持ちになれたのは、この介護の日々があったから
こそだと思う。
そして、パパ上は驚異的な生命力で、ガンの発見から《1年3ヶ月》と
余命宣告を大幅にクリアして、この世を去った。
ぷち子にとっては、わずか4年間の「父親」だった。
病気発見前は一度温泉旅行に付き合った程度で、家族付き合いを
あまり親密にしていなかった(ウチの夫婦は共働きで休みも違う為
盆と正月に顔を出す程度だった)ので、パパ上との思い出の大半は
ガンに侵されてからのものだけど、、、
それでも、パパ上は常に笑顔のイメージだ。
それって、結構すごい事だと思う。
合掌。

