野田聖子さんvol.1 少子化に取り組む理由 [2006年08月23日(水)]
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さて、予告させていただいた通り、本日から野田聖子さんのミニインタビューです。まず、1時間強ほどのインタビューを終えたとき……それは、野田さんの思いが痛いほど強く伝わってきて、シビレていました。こう、じんじんするというか。そのくらい、引き込まれ、考えさせられた時間でした。年齢が近いということもありますし、私も聖子さんが強く望んでいるように、子どもについての思いは、どこか後ろ髪をひかれるように心の中によどんでいます。
野田さんは、2004年にご自身の経験を綴られた『私は、産みたい』を、2005年には『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』を出版されています。少子化問題はライフワーク。その問題に着目したのは、15〜16年前だそうです。 「ちょうど、落選したときですね。そのときは、まず少子化っていうことよりも、子どものために生きようと。子どものための政治家になりたいと思ったんです。この国には、子どもという概念があまりなくて、何というか、夫婦の私有物のような扱いをしていて何につけ曖昧模糊としているんですよ。子どもの環境をどう守るかなど、そういう勉強をしているうちに、数そのものが激減していることに気づいたわけ」 ![]() 少子化そのものは、三十数年前からはじまっているのですが、野田さんがはっきりと問題意識を持ったのが、バブルの頃。当時は、子どもが減っても経済に関係ないという思考がまかり通っていたそうです。そういえば、私自身もバブル当時20代半ばだったけど、少子化なんていう意識はまったくなかった。上がり続ける地価ばかりを、みんな呆然とあるいは騒然と見ていたように思うのです。 「実態のない登記で100円にしかならないような土地が1万円にも2万円にもなった狂乱の時代だから、経済の本当の価値もわからなくなっちゃいましたよね。お金となればすぐ反応するけれど、子どもという将来にわたる財産や目に見えない資質については鈍感。日本ではずっと“産む性”としての女性の特質を認め支えることをしてこなかったし、この国を支えていくのが子どもだという当たり前のことも見失って、目の前にある1万円札みたいな、モノや貨幣の形をとらないと大切に思わない。大切な“人”の存在が二の次、三の次のような本末転倒な国家になってしまったんじゃないかと」 この流れの中で一番問題なのは、男女雇用機会均等法だと言います。つまり、結果として女にも同じように働かないと同じような出世、同じような賃金が出ないという社会をつくったことになる……というのです。 「高度経済成長期、男性は、本当に馬車馬のごとく働いて、たまたま家に妻がいてくれたからかろうじて家庭も温存できた。けれど、本来それは正しいやり方ではなかった。女性は、産む性であり歴史をつくる能力があるのに、男と同じ社会生活を強いられた結果、産む人が少なくなって、日本が衰退し始めているってことですよ」 このままでは本当に日本の未来はない。その強烈な危機感が野田さんを駆り立てています。男と同じように働ける、という機会をつくったはいいが、「産む性」の保護、つまり産休や、「産んだあと」の保育支援などがまったくついてこなかった、これは事実だと思います。 次回は、なぜ、その発想が政治になかったか、の話です。 |







