メモをとる [2006年11月07日(火)]
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昨日、ティム・バートン監督の生授業!の話を書いたら、主催したデジタルハリウッドの杉山先生が、トラックバックしてくださいました。
その内容も、夢の生授業の舞台裏。 ティム・バートン監督は、いつもメモをとっているのですね。 そういえば、最近は、どこへ行くにもPCを持ち歩き、紙にメモをとることが少なくなりました。これ、精神の危機的状況だっと気づきました。 手を動かして、なにやらごちゃごちゃ絵とも文章ともつかないものをわらわらと書いているうちに考えがまとまる、という貴重なアイドルタイムを省いて、一直線に結論にたどりつこうとする、そんな習慣になってしまっているのではないか……(反省)。 立花隆さんの著書の中だったと思いますが、立花さんは取材をされるとき、一切録音をされず、メモをとるという話がありました。 それは、速記とかそういうものではなく、概念や図を描きながらあっちへメモったり、こっちへメモったり。言葉を全部ひろっていくのではなく、自分の頭で消化し整理する作業なのです。 これを読んだとき、立花先生信者でもある私は、「私は間違ってない! キラリン」と有頂天になったものでした。編集者時代、経験則として、「録音して書いた取材原稿は、仕上がりになかなか納得いかない」というのがあり、生きた言葉を拾いたい人物インタビューや対談、鼎談以外は、必ずメモ一本にしていました。 思うに、録音すると安心してしまう(あとで聞けばいいや)ので取材が平坦でだらだらしがちになるような気がするのです。 ・メモは聞き逃すまいと必死になる、全部は書けないから考えて聞く ・キーワードを書き散らし、概念図をつくったりしているうちに、新しい疑問や質問が次々わく ・あとでそのメモを見ると、一番書きたいことが浮かび上がってきてくれる(気がする) これは、取材の手法のひとつだったりするわけですが、さっそく、出先でPCを取り出すよりもメモだ、と思いコピーの裏紙を久しぶりに持ち歩くことにしました。ノートじゃなくって、どうでもいい紙に書き散らかすのがいいんですよね。不動産広告の1色刷りの安い紙の裏とか、本当はいちばんいいんですけど……。 |

キラリン」と有頂天になったものでした。




