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アフリカの水

モザンビークでの7年間。
想像を絶する出来事や
出会った人のことをなどを書いていきます。
言い伝え通り私も、もう一度アフリカに戻るのだろうか・・・?

道なき道の激道中5
どれくらい走っただろうか。


1時間くらいだったか

3時間くらい経った頃か

前方に橋が見えてきた。


周りの風景と相容れない

真新しい、近代的なつり橋だった。


つり橋を渡りきると

そこには大きなバオバブの木があった。

そのすぐ横に、食堂らしき小屋が見えた。


木の骨組みに泥を塗った壁の上に

椰子の葉の屋根。



日が暮れようとしていた。

少しだけ涼しくなりつつある空気のためか

人影を見つけた安堵感からか

大きな息をついた。



バオバブの下に車を止めて

水を一口飲んだ。

体の細胞に水が染みわたるようだった。


それからおもむろに食堂前の男たちに話しかける。


「機械を扱える人はいますか?溶接機を持ってる人いる?」


「どうしたんだい?」


友人がそれまでのいきさつを話し始めた。

離れたところにいた人たちも集まってきて

瞬く間に10人ほどの男に囲まれた。

ビールと汗のにおいがあたりに立ち込める。


「応急処置さえできればいいんだ。
 Steeringを溶接すれば何とかBeiraまで戻れるはずだから。」


そのとき輪の中にいた小柄の男が前に進み出た。

「オレ、溶接機持ってるぜ。そんなことくらい、簡単さ。オレがやるよ。」


ああ、こんな小さな村に溶接機があろうとは!



ビールをしこたま飲んだらしい話し方と目の充血が気になったが

彼を信じる以外に道はなさそうだった。


「ここにはないから、オレの家まで取りに行かなきゃなんないけど。」

「じゃ、ここで待ってるよ。」

「いや、大きいから1人じゃ抱えきれない。
一緒に来てくれないと無理だ。」



話の端々から

彼はどうやら村の新参入者らしく

村八分にあっているらしいことが分かった。

だから手伝ってくれる人もいないらしい。



新しいものに対する拒絶は

閉鎖的なところでは特に顕著に表われる。



話は続いた。

ここで私たちが離れ離れになることはなんとしても避けたかった。


この自称機械工の男について行って

何が待ち構えているのか。


この裸電球1つの食堂前で

半ばアル中の多くの男たちの前で

1人になるのも恐ろしかった。


それでも、ほかに選択肢はなさそうだった。



とりあえず、気を静めるために

友人と共に食堂の中に入ってコーラを頼む。



カプラナと呼ばれる布を腰に巻いた小柄なおばさんが

恥ずかしそうにコーラのビンを持ってきてくれた。


コーラは少しだけ冷たく

気を静めてくれた。


食堂のおばさんの気のよさそうな笑顔が

少し安心感をくれた。


「じゃ、行ってくる。食堂の前から離れないで。
それと、車を見張っておいて。バンパーとか盗られるかもしれないから。」

そう言う彼を見送りに食堂を出たとき

外は大騒ぎになっていた。



喧嘩だ。











 
 

2008年6月28日(土) 21:47 [ 旅のはなし ]
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道なき道の激道中4
太陽はますます暑くなっていくようだった。

その熱をまともに吸収したアスファルトからも

うすっぺらのゴムサンダルを通して

熱が伝わってくる。


白い車の夫婦から渡された水を片手に

ただ立ち尽くすより他はなかった。


白い車の後、大型トラックやピックアップトラックが

何台か通った。


みんな止まってくれるのだが

車を引いて行くためのロープやワイヤーがないとか

車の高さが釣り合わない

などの理由で

私たちは2時間前に止まったところから

一歩も動けないでいた。


「タイヤをロープで固定して、一番最後の村まで戻ろう。
バーを接合できれば、この車でBeiraまで戻れるかもしれない。」



ここで助けを待つか

戻って、村の可能性に賭けるか。





車の中にあった

蚊帳をつるす為のビニールロープで

タイヤホイールの穴と

車体についている垂直のバーを

結びつける。


恐る恐る車に乗り込み

ゆっくりとUターンし始めた。



とたんに止まる。


タイヤが外を向いてしまったらしい。



もう一度外に出てタイヤをまっすぐにしようとするが

私の力では到底及ばない。


友人がタイヤを戻し

ゆっくりとゆっくりと走り出した。



時速20KM。



人影も見えない

時折鳥の鳴き声が聞こえてくるほかは

何の音もしない静かな道を

無心で戻る。



ガクッ ガガガガ・・・


30Mに一度、タイヤを戻す。




いつ着くとも知れない次の村へ

何があるとも知れない次の村へ

ただひたすら進んだ。





2008年6月27日(金) 23:31 [ 旅のはなし ]
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道なき道の激道中 3
私が言ったことが信じられないというような顔をして

友人が車から降りてきた。

左のタイヤがちょうどカーブを曲がったときのように

車体から出ていた。

そこから中を覗きこむ。



「あ・・・、ああああ・・ぁぁぁぁあ」



何が起こったのか分からない私は

依然として

どちらかというと



野生動物の襲来に



戦々恐々としていた。



「どうしたの?」


「Steeringが折れた。だめだこれ。引っ張っていくしかないな」



そこで初めてハンドルとタイヤを繋ぐ

英語でsteering axleと呼ばれるものがあることを知った。

ホイールの内側から車体中央部に向けて

車体とは垂直に走る太い金属のバーだ。

それが紆余曲折を経て(?)運転手席のハンドルとつながっているらしい。

そこが折れたのだ。



「引っ張っていくって、誰が?どこまで?どうやって?」


「・・・・・」


頭の中にJAFが浮かんだ。

「ここにもそういうサービスが・・・」

と言いかけてやめた。




モザンビークについて2ヵ月

そろそろこの国の実情が分かりかけ始めていたからだ。



「通る車を片っ端から止めて頼むしかないな」



幸か不幸かずっと対向車がなかったことを

彼は忘れていたらしい。


「もし、誰も通らなかったら?通っても助けてくれなかったら?」


「・・・・・」



野宿か車放棄か・・・・





どれくらい経っただろうか。

一台の乗用車が見えてきた。


「あれは無理だよ。あんな車で引っ張れるわけがない」

「もう誰でもいいよ。とにかく何とかしないと」


北部では見かけない、4人乗りの白い乗用車。


道の真ん中に出て

手を振った。

両手を大きく。



夫婦と思われる二人が

見るからに驚いた様子で乗っていた。


野生のサルよりも

はるかに珍しいアジア人を見たことに

驚いているらしかった。


「どうしたの?」


事情を説明する。




「無理だね、それは。大きな車に頼まないと」



もっともだった。


「じゃ、引っ張れる車をどこからか呼んで来れない?」

「それじゃ、明日の朝になるよ?それまでここにいるの?」

「・・・・・」


車はまた走り出そうとしていた。

自分でも信じられない言葉が口をついて出た。




「じゃ、せめて水くらい置いていって。
野宿になっちゃうかもしれないから・・・・」





2008年6月26日(木) 21:07 [ 旅のはなし ]
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道なき道の激道中 2
ベイラに着くと予想通りの雨だった。

熱帯の雨は

激しい。

よく言われるように

夕方に激しく降るだけのときもあれば

一日中シトシト降る日もある。



ベイラは首都に次ぐ

モザンビーク第2の街。

海に面していて

比較的大きな港がある。

その昔、今のジンバブエやマラウイで掘り出された

鉱物をヨーロッパへと運ぶための

重要な窓口だった面影が

所々に残る。



港の近辺には

コロニアル風の瀟洒な建物が並び

かつての植民地時代の断片を見たような気にさせられる。


クリスマスが近づいていた。

暑いので、年の瀬だという感じが全くないが

町唯一のスーパーの端に置かれた

プラスチックのクリスマスツリーだけが

季節を思い出させてくれた。



私と友人は車を受け取って

南の島で何日か過ごした後

いよいよザンベジ川を目指して北上し始めた。

モザンビークが誇る

最上級の幹線道路N1を北上して

ジンバブエとベイラを結ぶ

ベイラ街道に突き当たったら

そこからいよいよジャングルへ・・・

という予定だった。


が、


トラブルは思ったよりずっと早く

不意にやってきた。



久しぶりにアスファルト舗装された道路を

野生のサルを目の端で見ながら走っていたとき

突然運転する友人の顔がこわばり

ハンドルを持つ手に力が入ったのが分かった。

そのまま減速して脇に車を止めた。



「どうしたの?」

「ハンドルが利かなくなった。対向車が来てなくてよかったよ。」

「・・・・・」

「パンクじゃないかな?」

パンク。

一番最後に人影を見たのが

思い出せないほどの場所で

太陽が最高まるで頭上1メートルの所にあるかと思う

野生のサルが道を横切るこの場所で・・・・


おそるおそる外に出た。




タイヤを見るのも

野生動物を見るのも

いやだった。




タイヤはパンクしてなかった。



大きな声で

「パンクしてないよ。大丈夫よ・・・」

と言いかけたとき

タイヤの様子が普通と違う気がした。



右のタイヤはまっすぐ向いているのに



左のタイヤは左を向いていた。



また大きな声で叫ぶ。


「ね、タイヤって左右別の方向に向くんだっけ・・・?」





2008年6月25日(水) 22:23 [ 旅のはなし ]
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道なき道の激道中 1
雨期が始まったばかりだった。

クリスマスが近づいた12月

住み慣れ始めたQuelimaneを後にして

Beiraへと向かった。

Beiraに置かれたままになっていた

仕事用の車を取りに行くためだ。

行くのは飛行機だが

帰りは車。


しかも雨期が始まったばかりの

一番雨のひどい時に

道なき道を戻るしかない。


出発前に多くの人がこの計画に反対した。

特にキューバ人のマルタは

断固として反対した。

看護婦としてモザンビークに派遣されてから

3年が経つ、現地生活のベテランの言うことには

確かに説得力があった。


「もうこれだけ雨が降ってるのに、無理よ。」

「じゃどうすればいいの?乾期になるまで待つの?」

「そうよ、2,3ヶ月もすれば終わるわよ。それからでいいじゃない。」

「そんな、いちいち人の車借りてるばかりじゃ・・・。
 
 不便だし。やっぱり行かなきゃ行けないと思う」

「それだったら、せめてジンバブエとマラウイを通って帰ってきたほうがいいわよ。

 もうザンベジ川は渡れないと思う。

というか、その前に川までたどりつけないかも。」


「そんな、すごく遠回りじゃない!」

「ザンベジ川へ向かう道は、水につかってるはずよ。

川に着いたところで渡し舟が動いてるかも分からないし。

遠回りでもそれしかないのよ。」



ラテン人の誇張話だろうとタカをくくる私と

私のことをアフリカを知らない

東洋の子供としか見ない彼女の間で

しばらく押し問答がつづいた。





話を聞けば、不安になるばかりだった。


そしてその不安を越える

いかなる想像力を駆使しても

想像できなかった

旅の幕開けだった。

2008年6月24日(火) 23:02 [ 旅のはなし ]
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あふりかごはん
「アフリカに住む」といったとき

だれもが食べ物の心配をした。

友人の中には本気で食べ物をアフリカに送ろうと考えていてくれた人もいた。


私はといえば

アフリカのことを何も知らないにもかかわらず

何かしら食べれるだろう

と楽天的だった。


初めてのモザンビーク料理は

モザンビークの首都、マプートの知人宅でご馳走になったものだった。

チキンのトマトカレー風

マニュヨッカの葉をくたくたに煮込んだもの

シマ(中北部ではマサ)

と呼ばれるとうもろこしの粉を練ってだんごのようなやわらかく粘り気のある生地。


初めて食べるとうもろこしの粉は、口に入れた瞬間洗剤のパッケージが頭に浮かんだ。

洗剤の味がしたのだ。

回りの人がシマを口に入れるのをじっと見る。

しかし、おいしそうに食べるばかりで、

私が期待したような反応を示す人はいなかった。


それから人がシマを食べるのを見るたびに

大きな期待を持ってみていたが

私と同じ感想を漏らす人は

一人もいなかった。



住み始めてからいくばくもなくして

シマがアフリカの食生活の中で占める重要な役割に気づく。



一袋500g入りで50円ほどのこの粉は

サハラ以南のアフリカの多くの国で主食とされているらしい。

ケニアでは「ウガリ」

ジンバブエでは「サザ」

南アフリカでは「パップ」や「ミリー」

マラウイ、ザンビア、モザンビークでは「シマ」と呼ばれている。



このシマ

アフリカでお目にかからない日はない。

そしてこれを嫌いだという人にも会うことはなかった。


その存在感たるや

日本人にとっての米に匹敵する。


確かに、アフリカの人々にとって

特にアフリカ東部、南部の貧しい人にとって

シマは安く手に入る重要なエネルギー源である。


この地方で

1年間に消費されるとうもろこし粉の量は

1人当たり100Kgを越えるそうだ。

日本人1人当たりの年間米消費量が60Kg だから

どれほど頻繁に食べられているかがわかると思う。



アフリカの男は

「これを食べずに力がでるもんか」

と言い

女は

「これが一番安くて栄養があるのよ」という。

このセリフも

どこかで聞き覚えが・・・・


2008年6月23日(月) 21:29 [ 食べるはなし ]
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アフリカ車 2

[アフリカ 車 1よりつづき]


モザンビーク国内の道路は植民地時代に建設された後

ほとんど手入れされることはなく

しかも

内戦であちらこちらの橋が破壊され

道路には大きな穴が開けられた。





           注) ↑の穴は雨でできた天然モノ・・・


1992年の和平協定の後、

国際機関や各国の援助で道路は徐々に修復されてきた。


それでも4WDは必需である。

時には町中でさえも・・・



町から外にでるには、

4WDに特大のガソリンタンクが必要。


なければ、赤や緑のガソリン缶を

2,3つ積んで行く。

次のガソリンスタンドまで300kmなんてことは当たり前。

そのガソリンスタンドにも必ずガソリンがあるとは限らない。



運がよければ途中の小さな村で

どこかの誰かが

何ヶ月も前に

自転車で何十キロもの道のりを走って

ガソリンスタンドまで買いに行ったものを買えることもある。


水が混じってるかもしれないが・・・




その他の必需仕様は、荷台。


これは何を載せるにも必要。

ビールを買っても、水を買ってもボトルはよごれてるし

野菜は畑の土がついたままだから、全部荷台においてしまう。

生きたままのニワトリを買うことだってある。




それでも荷台の一番重要な役割は、人を運ぶことだった。



私たちのトヨタハイラックスが

救急車として病人を運んだのは

何回あっただろう。



町唯一の州立病院には、救急車らしき車はある。

が、動いているところをみることは

ついになかった。



救急車は故障中で、修理をするお金がないとか

スペア部品を南アフリカから取り寄せているから時間がかかるとか

いや、そうではなくてガソリンを買うお金がないだけだ

いやいや運転手を雇うお金がないのだ、とか。


現地の状況に照らし合わせてみれば

なるほどどれも信憑性を持ってたが

結局真相は分からずじまいだった。




そのほかにも

道端でボレア(ヒッチハイクの意で使われる現地語)を求める人を乗せたり

家の水道を修理する為に来てくれる労働者たち迎えにいったり。





人の誕生にも立ち会う一方(「車上出産」参照)

ハイラックスは命の終焉にも借り出されることが多かった。


棺おけを墓地まで運ぶために

荷台つきの車が必要なのだ。




棺おけを載せた車の後ろから

参列者が炎天下の中を墓地へと歩く。


車はクラクションを鳴らしながら

ゆっくりと進んでいく。


いつもと同じはずのクラクションの音が悲しげに響きわたる。


何度出くわしても、周りの空気が止まるような音だった。



車上出産からお葬式まで

まさに、「ゆりかごから墓場まで」の車だった。
2008年6月23日(月) 21:16 [ ブログ ]
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アフリカ車 1


アフリカでの必需品の一つは

車だ。


モザンビーク国内には鉄道がほとんど発達してない。

都市間の足はもっぱら自家用車か

小型バスに頼ることになる。



バスには、人間も動物もごちゃ混ぜで

過重に

積載される。


植民地時代のモザンビークは

内陸の国にとって重要な海への玄関口だったそうだ。


ジンバブエ(当時のローデシア)やマラウイでは鉄鉱石が掘り出されていた。

その鉄鉱石を運ぶために

東西に、内陸から海岸へと鉄道が敷かれた。


が、南北には何も造られなかった。


国内の物、人、富、情報の移動には

ほとんど関心が払われなかった。



その後現在に至るまで

2500kmにおよぶ

南北に長い国内を結ぶ交通網は

ついに建設されなかった。



その影響は今でも続く。



首都のマプートがある南は、

北に比べて格段に豊かだ。


南アフリカに近いこともあり

南アフリカからの人、物が流れ込む。


街は発展し、道路は整備され

人の暮らしは豊かになった。



マプートから北上するにしたがって

街の様子はだんだん寂しくなっていく。



ブロックで造られた家は減り

道路の穴が増える。



車は少なくなり

路上の人が増える。



マプート市内では

ろうそくを常備している家は少なく

北では

電気をひいている家が少ない。



南高北低。



経済発展、一人当たりの収入、識字率

すべてにおいて。


北では乳幼児死亡率が高い。




そんな中で北に住み着いた私達にとって

”アフリカ仕様車”

は、重要な生活の足となっていった。


[つづく]

2008年6月15日(日) 22:16 [ 生活必需品 ]
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車上誕生
誰もが家に戻る時間だった。

昼食を食べ、昼寝をするその時間は

道から人影が消えて

ただ太陽だけが

強い陰を作っていた。


人に会うために

静かな通りに車を出す。



アフリカに来て2週間が過ぎようとしていた。

家はまだ見つからず

マラウイまで
旅行に出かけたベルギー人の家に
居候中。


道路の両側には
名も知れない木が枝を広げている。
その後ろには
おそらく植民地時代に造られたと思われる
ブロックの塀。


植民地時代から共産時代を経て

内戦、そして民主主義へと移行した

忙しく悲しい時代を

無言で見てきた

赤レンガがむき出しの塀。



新しい大陸に来て2週間

すべてが新鮮で

すべてが異質だった。



車の中から外の景色を見るときには
落ち着いているのに
いざその景色の中を歩こうとすると
自分が
透明のカプセルに入っているようで
外との接点を感じられずにいた。


家を出てすぐ
木の下で立ち話をする二人の男たちがいた。






そのまま通り過ぎて

ふと

何か別のものが目に入ったような気がした。

誰かが歩道に寝そべっていたような気がした。

運転していた友人に
車を引き返してもらう。
女性が横たわっていた。

目は閉じられ
眉間にはしわがより
額の上では汗が太陽の光を受けていた。

口からはかすかに音が漏れている。

黒い化繊のブラウスに
カプラナ
と呼ばれる布を腰に巻いていた。

ひざは立てられ
手には強くこぶしが握られて
全身に力が入っているようだった。


車からおりたものの、
怖気づいた。



大きなおなかが目に入ったからだ。



友人が話しかける。
「大丈夫?どうすればいい?」


「・・・・」

痛みで口を開けないか、ポルトガル語が分からないのか、何も言わなかった。


「あ・・・ああ・・」


とにかく病院に運ぼうとからだを動かそうとすると声を出して痛がる。

なんとか車に乗せようとするが
今度は重くて抱えきれない。

近くで立ち話をしていた
二人の男の手を借りることにした。

「ちょっと、あの女の人を車に乗せたいんだけど、手伝ってくれますか?」

「はあ?・・・」

「いや、子供が生まれそうでさっきからすぐそこで地面に寝そべっていたんだけど気づかなかった?」

「・・・・いや・・・別に・・・」

「どうでもいいけど、早く!」



5メートルほどしか離れていない所で話していたにもかかわらず、
女の人に気づかなかったということもさることながら、
この事態を飲み込んでもなお
しぶしぶしか動かない男たちに驚いた。


女性はからだを曲げるのも痛いらしい。

はじめにからだを持ち上げようとすると
止めてといいたかったのか
ほっといてといいたかったのか、
手を振ったが、
男二人の力で一気に車の荷台に乗せられた。


町唯一の病院は、通りを下ったところにあった。
普通の足では5分とかからない距離だった。
そのあと少しの距離が
大きなおなかの彼女には遠かった。

どこの村から来たのか、
産気づいた体で
歩いて歩いて
それでも病院は
遠かった。

女性を荷台に残したまま、平屋の建物の中に入る。

「だれか、誰かいませんか?
 看護婦さん、いませんか?」

病室をのぞきながら廊下を走るが

いるのは産婦か病人だけ。

ベットの上でぼんやりとこちらを見ている。


働いている人らしき影はなかった。


「赤ちゃんが生まれそうなんです。看護婦さんはどこ?」

誰も答えない。

目だけがゆっくりとこちらを向く。



探し回っているあいだに、

突然

車から大きな叫び声が聞こえた。



「Ja'sta (Ja está=ここにいるよ、生まれたよの意味)!」



走って車に戻る。

さっきまで腰に巻きつけられていたカプラナのなかに、


小さな男の子が誕生していた。

2008年6月12日(木) 22:23 [ Quelimane-出来事 ]
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Quelimane 第一日目
Quelimane-

初めてこの町の名前を地図で見たときは
ケ、リ、マ、ネ、とたどたどしく口に出した。

南北に長いモザンビークの
ちょうど真ん中あたり。
海岸線から少し入り組んだところにあった。

その町に着いたのは、11月の終わり、後一ヶ月でクリスマスという頃だった。

首都マプートから飛行機で1時間半。
壊れかけたシートと、
エアコンから滴る水から開放されて降りた先に見えたのは
小さな小さな空港だった。
滑走路の脇には、草むらがあった。

重たそうな
ギーギー音を立てる階段を
一段降りて行く毎に
からだに何か重たいものが張り付いてくる感じがした。
マプートのさわやかさの上に沸騰したお湯でもかけるとこうもなろうかという暑さだ。

空港を出て、そのまま町の中心まで行く。
中心まで車で5分。
前日までいた首都とあまりに様子が違う。

ブロック、コンクリートの家はあまり見当たらない。
ほとんどが泥壁と椰子の葉でできた家。




町の一番中心と思われるところに入っても、人影はまばら。

どうやら昼ごはん時らしい。

店らしきものがあるのは分かっても、
ガラスというガラスにはすべて鉄格子が掛けられて
遠目には何を売っているのか見えない。


道の両側にはビニールやら、バナナの皮が散らかっていた。
その上には、ハエが集っていた。

道を歩いている男の人は、全身真っ白の服に白いターバン。 
店の軒先には横たわっているのは小さな男の子。

太陽は短い影をつくり、車は大きく揺れて不快な音を立てていた。

目の前にある光景と、自分の接点が見つからなかった。
飛行機を降りたときの、あの体にまとわりつく何かが、私を外界と隔てているようだった。

入り口が見つからない、ケリマネ第一日目だった。
2008年6月5日(木) 22:23 [ Quelimane ]
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