8 残り少ない時
2008-03-14 23:35:07
判作が退院して数週間が過ぎたある日、忠と家の裏にある河の土手に出ていた。釣りの道具が入った箱を開けた。そこには全て判作手作りの針や錘・うきが整えられていた。竹さおに仕掛けをつけると幅が八百メートルくらいある河の真ん中辺に針をなげた。魚が河のあちらこちらで撥ねていた。この時も多くの魚が釣れた。
忠、もうすぐ八歳。
しかし、判作の代わりに家計を支えるようになった今子から愚痴が出ることが多くなった。日頃の疲れが今子をそうさせたのだろうが、そのことが、いつも物静かな判作の口から荒い言葉を吐かせるようになり、時にはちゃぶ台をひっくり返すことも度となった。判作も働けないことに対し、いら立ちがあったのだろう。
その判作にも調子がいい日があった。そんな日は言わずと知れて仕事にでた。だが、三日出ると体が動かなくなり、食べ物もあまり取らなくなった。それから間もなく地元の病院に院した。ベッドから離れられない日が続いた。それでも、やはり子供たちのことを思ってか、動けるときは、医師や看護師の目を盗み病院を抜け出し家に帰えった。そして仕事着に着替えると近くの山に出かけた。手っ取り早く小銭を得るには、桜の葉を採って売ることだった。
判作は半日もすると大きな布袋が自分の体の二倍くらい膨らんだ袋を背負い帰ってきた。家に入るなり畳、一畳分いっぱいに桜の葉をひろた。
葉の山盛りになった。体を転がし忠は、その山に寄った。外の世界にほとんど触れることがないため、葉に触れることが新鮮に思えた。
その横で父の判作が葉を百枚に束ねることに集中していた。束ね終わると業者の元に持って行きお金と変え、自分の元へ僅かに置き、あとは家に残して病院に帰って行った。
ガンは体中に広がり、やせ細るだけの判作だった。医師の考えで判作は家に戻された。体力もほとんどなくなった。体調が良い日は家の裏の河で釣りをした。ある時は、その河沿いの道をどてら姿で手製の乳母車に忠を乗せ散歩をした。
「忠、さつま揚げ、食べるか」
判作が言った。人魚橋がかかる橋の袂にさつま揚げの工場はあった。良い臭いがしていた。そこで二枚のさつま揚げを買った。判作は揚げたてのさつま揚げを小さくちぎり忠に食べさせた。忠にまるで何かを話しかけているような優しい顔をしていた。
(この記事は、これを書く忠の記憶と、母の話を基に小説風に書いている自伝です)
忠、もうすぐ八歳。
しかし、判作の代わりに家計を支えるようになった今子から愚痴が出ることが多くなった。日頃の疲れが今子をそうさせたのだろうが、そのことが、いつも物静かな判作の口から荒い言葉を吐かせるようになり、時にはちゃぶ台をひっくり返すことも度となった。判作も働けないことに対し、いら立ちがあったのだろう。
その判作にも調子がいい日があった。そんな日は言わずと知れて仕事にでた。だが、三日出ると体が動かなくなり、食べ物もあまり取らなくなった。それから間もなく地元の病院に院した。ベッドから離れられない日が続いた。それでも、やはり子供たちのことを思ってか、動けるときは、医師や看護師の目を盗み病院を抜け出し家に帰えった。そして仕事着に着替えると近くの山に出かけた。手っ取り早く小銭を得るには、桜の葉を採って売ることだった。
判作は半日もすると大きな布袋が自分の体の二倍くらい膨らんだ袋を背負い帰ってきた。家に入るなり畳、一畳分いっぱいに桜の葉をひろた。
葉の山盛りになった。体を転がし忠は、その山に寄った。外の世界にほとんど触れることがないため、葉に触れることが新鮮に思えた。
その横で父の判作が葉を百枚に束ねることに集中していた。束ね終わると業者の元に持って行きお金と変え、自分の元へ僅かに置き、あとは家に残して病院に帰って行った。
ガンは体中に広がり、やせ細るだけの判作だった。医師の考えで判作は家に戻された。体力もほとんどなくなった。体調が良い日は家の裏の河で釣りをした。ある時は、その河沿いの道をどてら姿で手製の乳母車に忠を乗せ散歩をした。
「忠、さつま揚げ、食べるか」
判作が言った。人魚橋がかかる橋の袂にさつま揚げの工場はあった。良い臭いがしていた。そこで二枚のさつま揚げを買った。判作は揚げたてのさつま揚げを小さくちぎり忠に食べさせた。忠にまるで何かを話しかけているような優しい顔をしていた。
(この記事は、これを書く忠の記憶と、母の話を基に小説風に書いている自伝です)

あけしさんの穏やかな人柄は、判作とうちゃん譲りかな。


道子ちゃんもかんだかんだがんばっていると思うよ。そのうちいいことあるよ。
そう、おれけっこうそそっかしいとこある。間違ってごめんね。 忠